んだ手頸《てくび》だけが白く見える。萩に伏し薄《すすき》に靡《なび》く故里《ふるさと》を流離人《さすらいびと》はこんな風に眺《なが》める事がある。故里を離れぬ藤尾は何を眺めているか分らない。母は椽を曲って近寄った。
「何を考えているの」
「おや、御母《おっか》さん」と斜《なな》めな身体を柱から離す。振り返った眼つきには愁《うれい》の影さえもない。我《が》の女と謎の女は互に顔を見合した。実の親子である。
「どうかしたのかい」と謎が云う。
「なぜ」と我《が》が聞き返す。
「だって、何だか考え込んでいるからさ」
「何にも考えていやしません。庭の景色を見ていたんです」
「そう」と謎は意味のある顔つきをした。
「池の緋鯉《ひごい》が跳《は》ねますよ」と我は飽くまでも主張する。なるほど濁った水のなかで、ぽちゃりと云う音がした。
「おやおや。――御母《おっか》さんの部屋では少しも聞えないよ」
 聞えないんではない。謎で夢中になっていたのである。
「そう」と今度は我の方で意味のある顔つきをする。世はさまざまである。
「おや、もう蓮《はす》の葉が出たね」
「ええ。まだ気がつかなかったの」
「いいえ。今|始《はじめ》て」と謎が云う。謎ばかり考えているものは迂濶《うかつ》である。欽吾と藤尾の事を引き抜くと頭は真空になる。蓮の葉どころではない。
 蓮の葉が出たあとには蓮の花が咲く。蓮の花が咲いたあとには蚊帳《かや》を畳んで蔵へ入れる。それから蟋蟀《こおろぎ》が鳴く。時雨《しぐ》れる。木枯《こがらし》が吹く。……謎の女が謎の解決に苦しんでいるうちに世の中は変ってしまう。それでも謎の女は一つ所に坐《すわ》って謎を解くつもりでいる。謎の女は世の中で自分ほど賢いものはないと思っている。迂濶だなどとは夢にも考えない。
 緋鯉ががぽちゃりとまた跳ねる。薄濁《うすにごり》のする水に、泥は沈んで、上皮だけは軽く温《ぬる》む底から、朦朧《もうろう》と朱《あか》い影が静かな土を動かして、浮いて来る。滑《なめ》らかな波にきらりと射す日影を崩《くず》さぬほどに、尾を揺《ゆ》っているかと思うと、思い切ってぽんと水を敲《たた》いて飛びあがる。一面に揚《あが》る泥の濃きうちに、幽《かす》かなる朱いものが影を潜めて行く。温い水を背に押し分けて去る痕《あと》は、一筋のうねりを見せて、去年の蘆《あし》を風なきに嬲《なぶ》る。
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