頭の上に見上げる空は、枝のために遮《さえぎ》られて、手の平《ひら》ほどの奥に料峭《りょうしょう》たる星の影がきらりと光を放った時、余は車を降りながら、元来どこへ寝るのだろうと考えた。
「これが加茂《かも》の森《もり》だ」と主人が云う。「加茂の森がわれわれの庭だ」と居士《こじ》が云う。大樹《たいじゅ》を繞《め》ぐって、逆《ぎゃく》に戻ると玄関に灯《ひ》が見える。なるほど家があるなと気がついた。
玄関に待つ野明《のあき》さんは坊主頭《ぼうずあたま》である。台所から首を出した爺さんも坊主頭である。主人は哲学者である。居士は洪川和尚《こうせんおしょう》の会下《えか》である。そうして家は森の中にある。後《うしろ》は竹藪《たけやぶ》である。顫えながら飛び込んだ客は寒がりである。
子規と来て、ぜんざいと京都を同じものと思ったのはもう十五六年の昔になる。夏の夜《よ》の月|円《まる》きに乗じて、清水《きよみず》の堂を徘徊《はいかい》して、明《あきら》かならぬ夜《よる》の色をゆかしきもののように、遠く眼《まなこ》を微茫《びぼう》の底に放って、幾点の紅灯《こうとう》に夢のごとく柔《やわら》かなる空想を縦《ほしい》ままに酔《え》わしめたるは、制服の釦《ボタン》の真鍮《しんちゅう》と知りつつも、黄金《こがね》と強《し》いたる時代である。真鍮は真鍮と悟ったとき、われらは制服を捨てて赤裸《まるはだか》のまま世の中へ飛び出した。子規は血を嘔《は》いて新聞屋となる、余は尻を端折《はしょ》って西国《さいこく》へ出奔《しゅっぽん》する。御互の世は御互に物騒《ぶっそう》になった。物騒の極《きょく》子規はとうとう骨になった。その骨も今は腐れつつある。子規の骨が腐れつつある今日《こんにち》に至って、よもや、漱石が教師をやめて新聞屋になろうとは思わなかったろう。漱石が教師をやめて、寒い京都へ遊びに来たと聞いたら、円山《まるやま》へ登った時を思い出しはせぬかと云うだろう。新聞屋になって、糺《ただす》の森《もり》の奥に、哲学者と、禅居士《ぜんこじ》と、若い坊主頭と、古い坊主頭と、いっしょに、ひっそり閑《かん》と暮しておると聞いたら、それはと驚くだろう。やっぱり気取っているんだと冷笑するかも知れぬ。子規は冷笑が好きな男であった。
若い坊さんが「御湯に御這入《おはい》り」と云う。主人と居士は余が顫《ふる》えている
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