ん、と云う。石に逢《あ》えばかかん、かからんと云う。陰気な音ではない。しかし寒い響である。風は北から吹く。
 細い路を窮屈に両側から仕切る家はことごとく黒い。戸は残りなく鎖《とざ》されている。ところどころの軒下に大きな小田原提灯《おだわらぢょうちん》が見える。赤くぜんざいとかいてある。人気《ひとけ》のない軒下にぜんざいはそもそも何を待ちつつ赤く染まっているのかしらん。春寒《はるさむ》の夜《よ》を深み、加茂川《かもがわ》の水さえ死ぬ頃を見計らって桓武天皇《かんむてんのう》の亡魂でも食いに来る気かも知れぬ。
 桓武天皇の御宇《ぎょう》に、ぜんざいが軒下に赤く染め抜かれていたかは、わかりやすからぬ歴史上の疑問である。しかし赤いぜんざいと京都とはとうてい離されない。離されない以上は千年の歴史を有する京都に千年の歴史を有するぜんざいが無くてはならぬ。ぜんざいを召したまえる桓武天皇の昔はしらず、余とぜんざいと京都とは有史以前から深い因縁《いんねん》で互に結びつけられている。始めて京都に来たのは十五六年の昔である。その時は正岡子規《まさおかしき》といっしょであった。麩屋町《ふやまち》の柊屋《ひいらぎや》とか云う家へ着いて、子規と共に京都の夜《よる》を見物に出たとき、始めて余の目に映ったのは、この赤いぜんざいの大提灯である。この大提灯を見て、余は何故《なにゆえ》かこれが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日《こんにち》に至るまでけっして動かない。ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が当時に受けた第一印象でまた最後の印象である。子規は死んだ。余はいまだに、ぜんざいを食った事がない。実はぜんざいの何物たるかをさえ弁《わきま》えぬ。汁粉《しるこ》であるか煮小豆《ゆであずき》であるか眼前《がんぜん》に髣髴《ほうふつ》する材料もないのに、あの赤い下品な肉太《にくぶと》な字を見ると、京都を稲妻《いなずま》の迅《すみや》かなる閃《ひらめ》きのうちに思い出す。同時に――ああ子規は死んでしまった。糸瓜《へちま》のごとく干枯《ひから》びて死んでしまった。――提灯はいまだに暗い軒下にぶらぶらしている。余は寒い首を縮《ちぢ》めて京都を南から北へ抜ける。
 車はかんかららんに桓武天皇の亡魂を驚《おどろ》かし奉《たてまつ》って、しきりに馳《か》ける。前なる居士《こじ》は黙って乗っている。後《うしろ》な
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング