》にふかしている。
五月雨《さみだれ》に四尺伸びたる女竹《めだけ》の、手水鉢《ちょうずばち》の上に蔽《おお》い重なりて、余れる一二本は高く軒に逼《せま》れば、風誘うたびに戸袋をすって椽《えん》の上にもはらはらと所|択《えら》ばず緑りを滴《したた》らす。「あすこに画がある」と葉巻の煙をぷっとそなたへ吹きやる。
床柱《とこばしら》に懸《か》けたる払子《ほっす》の先には焚《た》き残る香《こう》の煙りが染《し》み込んで、軸は若冲《じゃくちゅう》の蘆雁《ろがん》と見える。雁《かり》の数は七十三羽、蘆《あし》は固《もと》より数えがたい。籠《かご》ランプの灯《ひ》を浅く受けて、深さ三尺の床《とこ》なれば、古き画のそれと見分けのつかぬところに、あからさまならぬ趣《おもむき》がある。「ここにも画が出来る」と柱に靠《よ》れる人が振り向きながら眺《なが》める。
女は洗えるままの黒髪を肩に流して、丸張りの絹団扇《きぬうちわ》を軽《かろ》く揺《ゆる》がせば、折々は鬢《びん》のあたりに、そよと乱るる雲の影、収まれば淡き眉《まゆ》の常よりもなお晴れやかに見える。桜の花を砕いて織り込める頬の色に、春の夜の星を宿せる眼を涼しく見張りて「私《わたし》も画《え》になりましょか」と云う。はきと分らねど白地に葛《くず》の葉を一面に崩して染め抜きたる浴衣《ゆかた》の襟《えり》をここぞと正せば、暖かき大理石にて刻《きざ》めるごとき頸筋《くびすじ》が際立《きわだ》ちて男の心を惹《ひ》く。
「そのまま、そのまま、そのままが名画じゃ」と一人が云うと
「動くと画が崩れます」と一人が注意する。
「画になるのもやはり骨が折れます」と女は二人の眼を嬉しがらしょうともせず、膝に乗せた右手をいきなり後《うし》ろへ廻《ま》わして体をどうと斜めに反《そ》らす。丈《たけ》長き黒髪がきらりと灯《ひ》を受けて、さらさらと青畳に障《さわ》る音さえ聞える。
「南無三、好事《こうず》魔多し」と髯ある人が軽《かろ》く膝頭を打つ。「刹那《せつな》に千金を惜しまず」と髯なき人が葉巻の飲《の》み殻《がら》を庭先へ抛《たた》きつける。隣りの合奏はいつしかやんで、樋《ひ》を伝う雨点《うてん》の音のみが高く響く。蚊遣火《かやりび》はいつの間《ま》にやら消えた。
「夜もだいぶ更《ふ》けた」
「ほととぎすも鳴かぬ」
「寝ましょか」
夢の話しはつい中途で流
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