たら、百人の学生が九十人までは、数ある日本の教授の名を口にする前に、まずフォン・ケーベルと答えるだろう。かほどに多くの学生から尊敬される先生は、日本の学生に対して終始《しゅうし》渝《かわ》らざる興味を抱《いだ》いて、十八年の長い間哲学の講義を続けている。先生が疾《と》くに索寞《さくばく》たる日本を去るべくして、いまだに去らないのは、実にこの愛すべき学生あるがためである。
京都の深田教授が先生の家にいる頃、いつでも閑《ひま》な時に晩餐《ばんさん》を食べに来いと云われてから、行かずに経過した月日を数えるともう四年以上になる。ようやくその約を果《はた》して安倍君といっしょに大きな暗い夜《よ》の中に出た時、余は先生はこれから先、もう何年ぐらい日本にいるつもりだろうと考えた。そうして一度日本を離れればもう帰らないと云われた時、先生の引用した“no more《ノーモアー》, never more《ネヴァーモアー》.”というポーの句を思い出した。
底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
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