。帰る時必ずカーライルと演説使いの話しを思いだす。かの溟濛《めいもう》たる瓦斯の霧に混ずる所が往時この村夫子《そんぷうし》の住んでおったチェルシーなのである。
 カーライルはおらぬ。演説者も死んだであろう。しかしチェルシーは以前のごとく存在している。否《いな》彼の多年住み古した家屋敷さえ今なお儼然《げんぜん》と保存せられてある。千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日《こんにち》まで昔のままで残っている。カーライルの歿後は有志家の発起《ほっき》で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を蒐《あつ》めてこれを各室に按排《あんばい》し好事《こうず》のものにはいつでも縦覧《じゅうらん》せしむる便宜《べんぎ》さえ謀《はか》られた。
 文学者でチェルシーに縁故のあるものを挙《あ》げると昔《むか》しはトマス・モア、下《くだ》ってスモレット、なお下ってカーライルと同時代にはリ・ハントなどがもっとも著名である。ハントの家はカーライルの直《じき》近傍で、現にカーライルがこの家《いえ》に引き移った晩尋ねて来たという事がカーライルの記録に書いてある。またハントがカーライルの細君にシェレーの塑像《そぞう》を贈ったという事も知れている。このほかにエリオットのおった家とロセッチの住んだ邸《やしき》がすぐ傍《そば》の川端に向いた通りにある。しかしこれらは皆すでに代《だい》がかわって現に人が這入《はい》っているから見物は出来ぬ。ただカーライルの旧廬《きゅうろ》のみは六ペンスを払えば何人《なんびと》でもまた何時《なんどき》でも随意に観覧が出来る。
 チェイン・ローは河岸端《かしっぱた》の往来を南に折れる小路でカーライルの家はその右側の中頃に在《あ》る。番地は二十四番地だ。
 毎日のように川を隔《へだ》てて霧の中にチェルシーを眺《なが》めた余はある朝ついに橋を渡ってその有名なる庵《いお》りを叩《たた》いた。
 庵りというと物寂《ものさ》びた感じがある。少なくとも瀟洒《しょうしゃ》とか風流とかいう念と伴《ともな》う。しかしカーライルの庵《いおり》はそんな脂《やに》っこい華奢《きゃしゃ》なものではない。往来《おうらい》から直《ただ》ちに戸が敲《たた》けるほどの道傍《みちばた》に建てられた四階|造《づくり》の真四角な家である。
 出張った所も引き込んだ所も
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