まいました。其代り、何《ど》うも骨《ほね》が折れましたぜ。何《なに》しろ、我々の引越《ひつこし》と違《ちが》つて、大きな物が色々《いろ/\》あるんだから。奥《おく》さんが坐敷《ざしき》の真中《まんなか》へ立《た》つて、茫然《ぼんやり》、斯《か》う周囲《まはり》を見回《みまは》してゐた様子《やうす》つたら、――随分|可笑《おかし》なもんでした」
「少《すこ》し身体《からだ》の具合が悪《わる》いんだからね」
「どうも左様《さう》らしいですね。色《いろ》が何《なん》だか可《よ》くないと思つた。平岡さんとは大違ひだ。あの人の体格は好《い》いですね。昨夕《ゆふべ》一所に湯《ゆ》に入つて驚ろいた」
 代助はやがて書斎へ帰つて、手紙を二三本|書《か》いた。一本は朝鮮の統監府に居る友人|宛《あて》で、先達《せんだつ》て送つて呉れた高麗焼の礼状である。一本は仏蘭西に居る姉婿《あねむこ》宛で、タナグラの安いのを見付《みつ》けて呉れといふ依頼である。
 昼過《ひるすぎ》散歩の出掛《でが》けに、門野《かどの》の室《へや》を覗《のぞ》いたら又|引繰《ひつく》り返つて、ぐう/\寐てゐた。代助は門野《かどの》の無邪気な鼻の穴を見て羨ましくなつた。実を云ふと、自分は昨夕《ゆふべ》寐《ね》つかれないで大変難義したのである。例に依《よ》つて、枕《まくら》の傍《そば》へ置《お》いた袂《たもと》時計が、大変大きな音《おと》を出《だ》す。夫《それ》が気になつたので、手を延《の》ばして、時計を枕《まくら》の下《した》へ押し込んだ。けれども音《おと》は依然として頭《あたま》の中《なか》へ響《ひゞ》いて来《く》る。其音《そのおと》を聞《き》きながら、つい、うと/\する間《ま》に、凡ての外《ほか》の意識は、全く暗窖《あんこう》の裡《うち》に降下《こうか》した。が、たゞ独り夜《よる》を縫《ぬ》ふミシンの針《はり》丈が刻《きざ》み足に頭《あたま》の中《なか》を断《た》えず通《とほ》つてゐた事を自覚してゐた。所が其音《そのおと》が何時《いつ》かりん/\といふ虫の音《ね》に変つて、奇麗な玄関の傍《わき》の植込《うゑご》みの奥で鳴いてゐる様になつた。――代助は昨夕《ゆふべ》の夢を此所《こゝ》迄|辿《たど》つて来《き》て、睡|眠《みん》と覚醒《かくせい》との間《あひだ》を繋《つな》ぐ一種の糸を発見した様な心持がした。
 代助は、何事によらず一度《いちど》気にかゝり出《だ》すと、何処《どこ》迄も気にかゝる男である。しかも自分で其馬鹿|気《げ》さ加減の程度を明らかに見積《みつも》る丈の脳力があるので、自分の気にかゝり方《かた》が猶|眼《め》に付いてならない。三四年前、平生の自分が如何《いか》にして夢《ゆめ》に入るかと云ふ問題を解決しやうと試みた事がある。夜《よる》、蒲団へ這入つて、好《い》い案排にうと/\し掛けると、あゝ此所《こゝ》だ、斯《か》うして眠《ねむ》るんだなと思つてはつとする。すると、其瞬間に眼《め》が冴《さ》えて仕舞ふ。しばらくして、又眠りかけると、又、そら此所《こゝ》だと思ふ。代助は殆んど毎晩の様に此好奇心に苦しめられて、同じ事を二遍も三遍も繰《く》り返した。仕舞には自分ながら辟易した。どうかして、此苦痛を逃れ様と思つた。のみならず、つく/″\自分は愚物であると考へた。自分の不明瞭な意識を、自分の明瞭な意識に訴へて、同時に回顧しやうとするのは、ジエームスの云つた通り、暗闇《くらやみ》を検査する為《ため》に蝋燭を点《とも》したり、独楽《こま》の運動を吟味する為《ため》に独楽《こま》を抑《おさ》へる様なもので、生涯|寐《ね》られつこない訳になる。と解《わか》つてゐるが晩《ばん》になると又はつと思ふ。
 此困難は約一年許りで何時《いつ》の間《ま》にか漸く遠退《とほの》いた。代助は昨夕《ゆふべ》の夢《ゆめ》と此困難とを比較して見て、妙に感じた。正気の自己《じこ》の一部分を切り放《はな》して、其儘の姿《すがた》として、知らぬ間《ま》に夢の中《なか》へ譲《ゆづ》り渡す方が趣《おもむき》があると思つたからである。同時に、此作用は気狂《きちがひ》になる時の状態と似て居はせぬかと考へ付いた。代助は今迄、自分は激昂しないから気狂《きちがひ》にはなれないと信じてゐたのである。

       五の三

 それから二三日は、代助も門野《かどの》も平岡の消息を聞《き》かずに過《す》ごした。四日目《よつかめ》の午過《ひるすぎ》に代助は麻布《あざぶ》のある家《いへ》へ園遊会に呼ばれて行《い》つた。御客は男女を合せて、大分《だいぶ》来《き》たが、正賓と云ふのは、英国の国会議員とか実業家とかいふ、無暗に脊の高い男と、それから鼻眼鏡をかけた其細君とであつた。これは中《なか》々の美人で、日本抔へ来《く》るには勿体ない位な容色だが、何処《どこ》で買つたものか、岐阜《ぎふ》出来《でき》の絵日傘《ゑひがさ》を得意に差《さ》してゐた。
 尤も其日は大変な好《い》い天気で、広い芝生の上《うへ》にフロツクで立つてゐると、もう夏《なつ》が来《き》たといふ感じが、肩《かた》から脊中《せなか》へ掛けて著《いちゞ》るしく起《おこ》つた位、空《そら》が真蒼《まつさを》に透《す》き通《とほ》つてゐた。英国の紳士は顔《かほ》をしかめて空《そら》を見《み》て、実《じつ》に美くしいと云つた。すると細君がすぐ、ラツヴレイと答《こた》へた。非常に疳《かん》の高《たか》い声で尤も力を入れた挨拶の仕様であつたので、代助は英国の御世辞は、また格別のものだと思つた。
 代助も二言三言《ふたことみこと》此細君から話《はな》しかけられた。が三分《さんぷん》と経《た》たないうちに、遣《や》り切れなくなつて、すぐ退却した。あとは、日本服を着《き》て、わざと島田に結《い》つた令嬢と、長らく紐育《ニユーヨーク》で商業に従事してゐたと云ふ某が引き受けた。此某は英語を喋舌《しやべ》る天才を以て自ら任ずる男で、欠《か》かさず英語会へ出席して、日本人と英語の会話を遣《や》つて、それから英語で卓上演説をするのを、何よりの楽《たのし》みにしてゐる。何か云つては、あとでさも可笑《おか》しさうに、げら/\笑《わら》ふ癖《くせ》がある。英国人が時によると怪訝《けげん》な顔《かほ》をしてゐる。代助はあれ丈は已めたら可《よ》からうと思つた。令嬢も中々|旨《うま》い。是は米国婦人を家庭教師に雇つて、英語を使ふ事を研究した、ある物持ちの娘である。代助は、顔より言葉の方が達者だと考へながら、つく/″\感心して聞いてゐた。
 代助が此所《こゝ》へ呼ばれたのは、個人的に此所《こゝ》の主人や、此英国人夫婦に関係があるからではない。全く自分の父《ちゝ》と兄《あに》との社交的勢力の余波で、招待状が廻つて来たのである。だから、万遍なく方々へ行《い》つて、好い加減に頭《あたま》を下《さ》げて、ぶら/\してゐた。其中《そのうち》に兄《あに》も居《ゐ》た。
「やあ、来《き》たな」と云つた儘、帽子に手も掛けない。
「何《ど》うも、好《い》い天気ですね」
「あゝ。結構だ」
 代助も脊の低《ひく》い方ではないが、兄《あに》は一層|高《たか》く出来てゐる。其上この五六年来次第に肥満して来《き》たので、中々《なか/\》立派に見える。
「何《ど》うです、彼方《あつち》へ行《い》つて、ちと外国人と話《はなし》でもしちや」
「いや、真平《まつぴら》だ」と云つて兄《あに》は苦笑《にがわら》ひをした。さうして大きな腹《はら》にぶら下《さ》がつてゐる金鎖《きんぐさり》を指《ゆび》の先《さき》で弄《いぢく》つた。
「何《ど》うも外国人は調子が可《い》いですね。少《すこ》し可《よ》すぎる位だ。あゝ賞《ほ》められると、天気の方でも是非|好《よ》くならなくつちやならなくなる」
「そんなに天気を賞《ほ》めてゐたのかい。へえ。少し暑過《あつす》ぎるぢやないか」
「私《わたし》にも暑過《あつす》ぎる」
 誠吾と代助は申し合せた様に、白い手巾《ハンケチ》を出《だ》して額《ひたひ》を拭《ふ》いた。両人《ふたり》共|重《おも》い絹帽《シルクハツト》を被《かぶ》つてゐる。
 兄弟は芝生の外《はづ》れの木蔭《こかげ》迄|来《き》て留《とま》つた。近所には誰《だれ》もゐない。向ふの方で余興か何《なに》か始まつてゐる。それを、誠吾は、宅《うち》にゐると同じ様な顔をして、遠くから眺めた。
「兄《あに》の様になると、宅《うち》にゐても、客に来《き》ても同じ心持ちなんだらう。斯《か》う世の中《なか》に慣れ切つて仕舞つても、楽しみがなくつて、詰《つま》らないものだらう」と思ひながら代助は誠吾の様子を見てゐた。
「今日《けふ》は御父《おとう》さんは何《ど》うしました」
「御父《おとう》さんは詩《し》の会《くわい》だ」
 誠吾は相変らず普通の顔で答へたが、代助の方は多少|可笑《おか》しかつた。
「姉《ねえ》さんは」
「御客の接待掛りだ」
 また嫂《あによめ》が後《あと》で不平を云ふ事だらうと考へると、代助は又|可笑《おか》しくなつた。

       五の四

 代助は、誠吾の始終|忙《いそが》しがつてゐる様子を知つてゐる。又その忙《いそが》しさの過半は、斯《か》う云ふ会合から出来上《できあ》がつてゐるといふ事実も心得てゐる。さうして、別に厭《いや》な顔《かほ》もせず、一口《ひとくち》の不平も零《こぼ》さず、不規則に酒を飲んだり、物《もの》を食《く》つたり、女を相手にしたり、してゐながら、何時《いつ》見ても疲《つか》れた態《たい》もなく、噪《さわ》ぐ気色もなく、物外に平然として、年々肥満してくる技倆に敬服してゐる。
 誠吾が待合へ這入つたり、料理茶屋へ上《あが》つたり、晩餐に出《で》たり、午餐に呼ばれたり、倶楽部に行つたり、新橋に人を送つたり、横浜に人を迎へたり、大磯へ御機嫌伺ひに行つたり、朝から晩迄多勢の集まる所へ顔を出《だ》して、得意にも見えなければ、失意にも思はれない様子は、斯《か》う云ふ生活に慣《な》れ抜《ぬ》いて、海月《くらげ》が海《うみ》に漂《たゞよ》ひながら、塩水《しほみづ》を辛《から》く感じ得ない様なものだらうと代助は考へてゐる。
 其所《そこ》が代助には難有い。と云ふのは、誠吾は父《ちゝ》と異《ちが》つて、嘗て小六※[#小書き濁点付き平仮名つ、77−6]かしい説法抔を代助に向つて遣《や》つた事がない。主義だとか、主張だとか、人生観だとか云ふ窮窟なものは、てんで、これつ許《ぱかり》も口《くち》にしないんだから、有《ある》んだか、無《な》いんだか、殆んど要領を得ない。其代り、此窮窟な主義だとか、主張だとか、人生観だとかいふものを積極的《せききよくてき》に打《う》ち壊《こは》して懸《かゝ》つた試《ためし》もない。実に平凡で好《い》い。
 だが面白くはない。話し相手としては、兄《あに》よりも嫂《あによめ》の方が、代助に取つて遥かに興味がある。兄《あに》に逢ふと屹度|何《ど》うだいと云ふ。以太利に地震があつたぢやないかと云ふ。土耳古の天子が廃されたぢやないかと云ふ。其外、向ふ島の花はもう駄目になつた、横浜にある外国船の船底《ふなぞこ》に大蛇《だいぢや》が飼《か》つてあつた、誰《だれ》が鉄道で轢《ひ》かれた、ぢやないかと云ふ。みんな新聞に出た事|許《ばかり》である。其代り、当らず障らずの材料はいくらでも持つて居る。いつ迄|経《た》つても種《たね》が尽きる様子が見えない。
 さうかと思ふと。時にトルストイと云ふ人は、もう死んだのかね抔と妙な事を聞く事がある。今《いま》日本《にほん》の小説家では誰《だれ》が一番|偉《えら》いのかねと聞く事もある。要するに文芸には丸で無頓着で且つ驚ろくべく無識であるが、尊敬と軽蔑以上に立つて平気で聞くんだから、代助も返事がし易《やす》い。
 斯《か》う云ふ兄《あに》と差し向《むか》ひで話をしてゐると、刺激の乏しい代りには、灰汁《あく》がなくつて、気楽で好《い》い。たゞ朝から晩迄|出歩《である》いてゐるから滅多に捕《つら》ま
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