想は、人間の暗黒面に出逢つて喫驚《びつくり》する程の山出《やまだし》ではなかつた。彼《かれ》の神経は斯様に陳腐な秘密を嗅《か》いで嬉しがる様に退屈を感じてはゐなかつた。否、是より幾倍か快よい刺激でさへ、感受するを甘んぜざる位、一面から云へば、困憊してゐた。
 代助は平岡のそれとは殆んど縁故のない自家特有の世界の中《なか》で、もう是程に進化――進化の裏面を見ると、何時《いつ》でも退化であるのは、古今を通じて悲しむべき現象だが――してゐたのである。それを平岡は全く知らない。代助をもつて、依然として旧態を改めざる三年前の初心《うぶ》と見てゐるらしい。かう云ふ御坊つちやんに、洗《あら》ひ浚《ざら》ひ自分の弱点を打《う》ち明《あ》けては、徒《いたづ》らに馬糞《まぐそ》を投《な》げて、御嬢さまを驚ろかせると同結果に陥いり易い。余計な事をして愛想《あいそ》を尽《つ》かされるよりは黙《だま》つてゐる方が安全だ。――代助には平岡の腹が斯《か》う取《と》れた。それで平岡が自分に返事もせずに無言《むごん》で歩《ある》いて行くのが、何となく馬鹿らしく見えた。平岡が代助を小供視《こどもし》する程度に於て、あるひ
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