吸を敢てして存在するかを怪しむ事さへある。それでゐて彼は平気にのらくらしてゐる。しかも此《この》のらくらを以て、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に振舞《ふるまひ》たがる。其上頑強一点張りの肉体を笠《かさ》に着《き》て、却つて主人の神経的な局所へ肉薄して来《く》る。自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払ふ租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となつた報《むくひ》に受る不文の刑罰である。是等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に為《な》れた。否、ある時は是等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さへある。門野《かどの》にはそんな事は丸で分らない。
「門野《かどの》さん、郵便は来《き》て居《ゐ》なかつたかね」
「郵便ですか。斯《か》うつと。来《き》てゐました。端書《はがき》と封書が。机の上に置きました。持つて来《き》ますか」
「いや、僕が彼方《あつち》へ行つても可《い》い」
歯切《はぎ》れのわるい返事なので、門野《かどの》はもう立つて仕舞つた。さうして端書《はがき》と郵便を持つて来た。端書は、今日二時東京
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