、何事によらず一度《いちど》気にかゝり出《だ》すと、何処《どこ》迄も気にかゝる男である。しかも自分で其馬鹿|気《げ》さ加減の程度を明らかに見積《みつも》る丈の脳力があるので、自分の気にかゝり方《かた》が猶|眼《め》に付いてならない。三四年前、平生の自分が如何《いか》にして夢《ゆめ》に入るかと云ふ問題を解決しやうと試みた事がある。夜《よる》、蒲団へ這入つて、好《い》い案排にうと/\し掛けると、あゝ此所《こゝ》だ、斯《か》うして眠《ねむ》るんだなと思つてはつとする。すると、其瞬間に眼《め》が冴《さ》えて仕舞ふ。しばらくして、又眠りかけると、又、そら此所《こゝ》だと思ふ。代助は殆んど毎晩の様に此好奇心に苦しめられて、同じ事を二遍も三遍も繰《く》り返した。仕舞には自分ながら辟易した。どうかして、此苦痛を逃れ様と思つた。のみならず、つく/″\自分は愚物であると考へた。自分の不明瞭な意識を、自分の明瞭な意識に訴へて、同時に回顧しやうとするのは、ジエームスの云つた通り、暗闇《くらやみ》を検査する為《ため》に蝋燭を点《とも》したり、独楽《こま》の運動を吟味する為《ため》に独楽《こま》を抑《おさ》へる様なもので、生涯|寐《ね》られつこない訳になる。と解《わか》つてゐるが晩《ばん》になると又はつと思ふ。
此困難は約一年許りで何時《いつ》の間《ま》にか漸く遠退《とほの》いた。代助は昨夕《ゆふべ》の夢《ゆめ》と此困難とを比較して見て、妙に感じた。正気の自己《じこ》の一部分を切り放《はな》して、其儘の姿《すがた》として、知らぬ間《ま》に夢の中《なか》へ譲《ゆづ》り渡す方が趣《おもむき》があると思つたからである。同時に、此作用は気狂《きちがひ》になる時の状態と似て居はせぬかと考へ付いた。代助は今迄、自分は激昂しないから気狂《きちがひ》にはなれないと信じてゐたのである。
五の三
それから二三日は、代助も門野《かどの》も平岡の消息を聞《き》かずに過《す》ごした。四日目《よつかめ》の午過《ひるすぎ》に代助は麻布《あざぶ》のある家《いへ》へ園遊会に呼ばれて行《い》つた。御客は男女を合せて、大分《だいぶ》来《き》たが、正賓と云ふのは、英国の国会議員とか実業家とかいふ、無暗に脊の高い男と、それから鼻眼鏡をかけた其細君とであつた。これは中《なか》々の美人で、日本抔へ来《く》るには勿体ない位な容色だが、何処《どこ》で買つたものか、岐阜《ぎふ》出来《でき》の絵日傘《ゑひがさ》を得意に差《さ》してゐた。
尤も其日は大変な好《い》い天気で、広い芝生の上《うへ》にフロツクで立つてゐると、もう夏《なつ》が来《き》たといふ感じが、肩《かた》から脊中《せなか》へ掛けて著《いちゞ》るしく起《おこ》つた位、空《そら》が真蒼《まつさを》に透《す》き通《とほ》つてゐた。英国の紳士は顔《かほ》をしかめて空《そら》を見《み》て、実《じつ》に美くしいと云つた。すると細君がすぐ、ラツヴレイと答《こた》へた。非常に疳《かん》の高《たか》い声で尤も力を入れた挨拶の仕様であつたので、代助は英国の御世辞は、また格別のものだと思つた。
代助も二言三言《ふたことみこと》此細君から話《はな》しかけられた。が三分《さんぷん》と経《た》たないうちに、遣《や》り切れなくなつて、すぐ退却した。あとは、日本服を着《き》て、わざと島田に結《い》つた令嬢と、長らく紐育《ニユーヨーク》で商業に従事してゐたと云ふ某が引き受けた。此某は英語を喋舌《しやべ》る天才を以て自ら任ずる男で、欠《か》かさず英語会へ出席して、日本人と英語の会話を遣《や》つて、それから英語で卓上演説をするのを、何よりの楽《たのし》みにしてゐる。何か云つては、あとでさも可笑《おか》しさうに、げら/\笑《わら》ふ癖《くせ》がある。英国人が時によると怪訝《けげん》な顔《かほ》をしてゐる。代助はあれ丈は已めたら可《よ》からうと思つた。令嬢も中々|旨《うま》い。是は米国婦人を家庭教師に雇つて、英語を使ふ事を研究した、ある物持ちの娘である。代助は、顔より言葉の方が達者だと考へながら、つく/″\感心して聞いてゐた。
代助が此所《こゝ》へ呼ばれたのは、個人的に此所《こゝ》の主人や、此英国人夫婦に関係があるからではない。全く自分の父《ちゝ》と兄《あに》との社交的勢力の余波で、招待状が廻つて来たのである。だから、万遍なく方々へ行《い》つて、好い加減に頭《あたま》を下《さ》げて、ぶら/\してゐた。其中《そのうち》に兄《あに》も居《ゐ》た。
「やあ、来《き》たな」と云つた儘、帽子に手も掛けない。
「何《ど》うも、好《い》い天気ですね」
「あゝ。結構だ」
代助も脊の低《ひく》い方ではないが、兄《あに》は一層|高《たか》く出来てゐる。其上この五六年来次第に肥満
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