に元の如くに巻き収めて、無言の感謝を改めて嫂《あによめ》に致した。梅子よりと書いた字は寧ろ拙であつた。手紙の体の言文一致なのは、かねて代助の勧めた通りを用ひたのであつた。
 代助は洋燈《ランプ》の前にある封筒を、猶つくづくと眺《なが》めた。古《ふる》い寿《じゆ》命が又一ヶ月|延《の》びた。晩《おそ》かれ早かれ、自己を新たにする必要のある代助には、嫂《あによめ》の志は難有いにもせよ、却つて毒になる許《ばかり》であつた。たゞ平岡と事を決する前は、麺麭《パン》の為《ため》に働らく事を肯《うけが》はぬ心を持つてゐたから、嫂《あによめ》の贈物《おくりもの》が、此際《このさい》糧食としてことに彼には貴《たつ》とかつた。
 其晩も蚊帳へ這入《はい》る前にふつと、洋燈《ランプ》を消《け》した。雨戸《あまど》は門野《かどの》が立《た》てに来《き》たから、故障も云はずに、其|儘《まゝ》にして置いた。硝子戸《がらすど》だから、戸越《とご》しにも空《そら》は見えた。たゞ昨夕《ゆふべ》より暗《くら》かつた。曇《くも》つたのかと思つて、わざ/\椽側迄|出《で》て、透《す》かす様にして軒《のき》を仰ぐと、光《ひか》るものが筋《すぢ》を引いて斜《なゝ》めに空《そら》を流れた。代助は又|蚊帳《かや》を捲《まく》つて這入つた。寐付《ねつ》かれないので団扇をはたはた云はせた。
 家《いへ》の事は左のみ気に掛《か》からなかつた。職業もなるが儘になれと度胸を据ゑた。たゞ三千代の病気と、其源因と其結果が、ひどく代助の頭《あたま》を悩《なや》ました。それから平岡との会見の様子も、様々《さま/″\》に想像して見た。それも一方《ひとかた》ならず彼《かれ》の脳髄を刺激した。平岡は明日《あした》の朝九時|頃《ごろ》あんまり暑くならないうちに来《く》るといふ伝言であつた。代助は固より、平岡に向つて何《ど》う切り出《だ》さう抔と形式的の文句を考へる男《をとこ》ではなかつた。話す事は始めから極《きま》つてゐて、話す順序は其時の模《も》様次第だから、決して心配にはならなかつたが、たゞ成る可く穏かに自分の思ふ事が向ふに徹する様にしたかつた。それで過度の興奮を忌んで、一夜の安静を切に冀つた。成るべく熟睡《じゆくすい》したいと心掛けて瞼《まぶた》を合せたが、生憎眼が冴えて昨夕《ゆふべ》よりは却つて寐《ね》苦しかつた。其|内《うち》夏の夜がぽうと白《しら》み渡《わた》つて来《き》た。代助は堪《たま》りかねて跳ね起きた。跣足《はだし》で庭先へ飛び下りて冷たい露《つゆ》を存分に踏んだ。夫から又椽側の籐椅子に倚つて、日の出《で》を待つてゐるうちに、うと/\した。

       十六の七

 門野《かどの》が寐惚《ねぼ》け眼《まなこ》を擦《こす》りながら、雨戸《あまど》を開《あ》けに出《で》た時、代助ははつとして、此|仮睡《うたゝね》から覚《さ》めた。世界の半面はもう赤い日《ひ》に洗《あら》はれてゐた。
「大変御早うがすな」と門野が驚ろいて云つた。代助はすぐ風呂場へ行つて水を浴《あ》びた。朝飯《あさめし》は食《く》はずに只紅茶を一杯飲んだ。新聞を見たが、殆んど何が書《か》いてあるか解《わか》らなかつた。読むに従つて、読《よ》んだ事が群《むら》がつて消えて行《い》つた。たゞ時計の針ばかりが気になつた。平岡が来《く》る迄にはまだ二時間あまりあつた。代助は其|間《あひだ》を何《ど》うして暮《く》らさうかと思つた。凝《じつ》としてはゐられなかつた。けれども何をしても手に付《つ》かなかつた。責《せ》めて此二時間をぐつと寐込んで、眼《め》を開《あ》けて見ると、自分の前に平岡が来《き》てゐる様にしたかつた。
 仕舞に何か用事を考へ出《だ》さうとした。不図机の上《うへ》に乗《の》せてあつた梅子の封筒が眼《め》に付《つ》いた。代助は是だと思つて、強いて机の前に坐《すは》つて、嫂《あによめ》へ謝状を書《か》いた。成るべく叮嚀に書く積であつたが、状袋へ入れて宛名迄|認《したゝ》めて仕舞つて、時計を眺めると、たつた十五分程しか経《た》つてゐなかつた。代助は席《せき》に着《つ》いた儘、安《やす》からぬ眼《め》を空《くう》に据ゑて、頭《あたま》の中《なか》で何か捜《さが》す様に見えた。が、急に起つた。
「平岡が来《き》たら、すぐ帰《かへ》るからつて、少《すこ》し待《ま》たして置いて呉れ」と門野《かどの》に云ひ置《お》いて表へ出《で》た。強い日が正面から射竦《ゐすく》める様な勢で、代助の顔《かほ》を打《う》つた。代助は歩《ある》きながら絶《た》えず眼《め》と眉《まゆ》を動《うご》かした。牛込見附を這入つて、飯田町を抜《ぬ》けて、九段|坂下《ざかした》へ出《で》て、昨日《きのふ》寄《よ》つた古本屋《ふるほんや》迄|来《き》て、
「昨
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