《むね》を躍《おど》らせた。が、そのうち大《おほ》いなる空《そら》と、大いなる夢《ゆめ》のうちに、吾知らず吸収された。
 翌日の朝《あさ》彼は思ひ切つて平岡へ手紙を出《だ》した。たゞ、内々で少し話したい事があるが、君の都合を知らせて貰《もら》ひたい。此方《こつち》は何時《いつ》でも差支ない。と書いた丈だが、彼《かれ》はわざとそれを封書にした。状袋の糊《のり》を湿《し》めして、赤い切手をとんと張《は》つた時には、愈クライシスに証券を与へた様な気がした。彼は門野《かどの》に云ひ付けて、此運命の使《つかひ》を郵便|函《ばこ》に投《な》げ込ました。手|渡《わた》しにする時、少し手先が顫《ふる》へたが、渡したあとでは却つて茫然として自失した。三年前三千代と平岡の間《あひだ》に立《た》つて斡旋《あつせん》の労を取つた事を追想すると丸で夢の様であつた。

       十六の五

 翌日《よくじつ》は平岡の返事を心待《こゝろまち》に待《ま》ち暮《く》らした。其|明《あく》る日も当《あて》にして終日《しうじつ》宅《うち》にゐた。三日《みつか》四日《よつか》と経《た》つた。が、平《ひら》岡からは何の便《たより》もなかつた。其中《そのうち》例月《れいげつ》の通り、青山《あをやま》へ金《かね》を貰《もら》ひに行くべき日《ひ》が来《き》た。代助の懐中《くわいちう》は甚だ手薄《てうす》になつた。代助は此前|父《ちゝ》に逢《あ》つた時以後、もう宅《うち》からは補助を受けられないものと覚悟を極《き》めてゐた。今更平気な顔《かほ》をして、のそ/\出掛《でかけ》て行く了見は丸でなかつた。何《なに》二ヶ月や三ヶ月は、書物か衣類を売り払つても何《ど》うかなると腹《はら》の中《なか》で高《たか》を括《くゝ》つて落ち付《つ》いてゐた。事《こと》の落着次第|緩《ゆつ》くり職業を探《さが》すと云ふ分別もあつた。彼《かれ》は平生から人《ひと》のよく口癖《くちくせ》にする、人間は容易な事《こと》で餓死するものぢやない、何《ど》うにかなつて行くものだと云ふ半諺《はんことわざ》の真理を、経験しない前から信《しん》じ出《だ》した。
 五日《いつか》目に暑《あつさ》を冒《おか》して、電車へ乗《の》つて、平岡の社迄|出掛《でか》けて行つて見て、平岡は二三日出社しないと云ふ事が分《わか》つた。代助は表へ出て薄汚《うすぎた》ない編輯局の窓を見上《みあ》げながら、足《あし》を運ぶ前に、一応電話で聞き合《あは》すべき筈だつたと思つた。先達ての手紙は、果して平岡の手に渡つたかどうか、夫《それ》さへ疑《うたが》はしくなつた。代助はわざと新聞社宛でそれを出《だ》したからである。帰りに神田へ廻《まは》つて、買ひつけの古本《ふるほん》屋に、売払ひたい不用の書物があるから、見《み》に来《き》てくれろと頼《たの》んだ。
 其|晩《ばん》は水《みづ》を打《う》つ勇気も失《う》せて、ぼんやり、白い網襯衣《あみしやつ》を着《き》た門野の姿《すがた》を眺《なが》めてゐた。
「先生|今日《けふ》は御疲《おつかれ》ですか」と門野《かどの》が馬尻《ばけつ》を鳴らしながら云つた。代助の胸は不安《ふあん》に圧《お》されて、明《あき》らかな返事も出《で》なかつた。夕食《ゆふめし》のとき、飯《めし》の味《あぢ》は殆んどなかつた。呑《の》み込む様に咽喉《のど》を通《とほ》して、箸《はし》を投《な》げた。門野《かどの》を呼んで、
「君、平岡の所へ行つてね、先達《せんだつ》ての手紙は御覧になりましたか。御覧になつたら、御返事を願ひますつて、返事を聞いて来《き》て呉れ玉へ」と頼《たの》んだ。猶要領を得ぬ恐《おそれ》がありさうなので、先達てこれ/\の手紙を新聞社の方へ出して置いたのだと云ふ事迄説明して聞《き》かした。
 門野《かどの》を出《だ》した後《あと》で、代助は椽側に出《で》て、椅子に腰を掛《か》けた。門野《かどの》の帰つた時は、洋燈《ランプ》を吹《ふ》き消《け》して、暗《くら》い中《なか》に凝《じつ》としてゐた。門野《かどの》は暗《くら》がりで、
「行《い》つて参りました」と挨拶をした。「平岡さんは御居《おゐ》でゞした。手紙は御覧になつたさうです。明日《あした》の朝《あさ》行《い》くからといふ事です」
「左様《さう》かい、御苦労さま」と代助は答へた。
「実《じつ》はもつと早く出《で》るんだつたが、うちに病人が出来たんで遅《おそ》くなつたから、宜《よろ》しく云つてくれろと云はれました」
「病人?」と代助は思はず問《と》ひ返《かへ》した。門野《かどの》は暗《くら》い中《なか》で、
「えゝ、何でも奥さんが御悪《おわる》い様です」と答へた。門野の着《き》てゐる白地の浴衣《ゆかた》丈がぼんやり代助の眼《め》に入《い》つた。夜《よる》の明《あ
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