も、それは二人《ふたり》とも早く死んで仕舞つた。母も死んで仕舞つた。
 代助の一家《いつけ》は是丈の人数《にんず》から出来上《できあが》つてゐる。そのうちで外《そと》へ出《で》てゐるものは、西洋に行つた姉と、近頃《ちかごろ》一戸を構へた代助ばかりだから、本家《ほんけ》には大小合せて四人《よつたり》残る訳になる。
 代助は月に一度《いちど》は必ず本家《ほんけ》へ金《かね》を貰ひに行く。代助は親《おや》の金《かね》とも、兄《あに》の金ともつかぬものを使《つか》つて生きてゐる。月《つき》に一度の外《ほか》にも、退屈になれば出掛けて行く。さうして子供に調戯《からか》つたり、書生と五目並《ごもくならべ》をしたり、嫂《あによめ》と芝居の評をしたりして帰つて来《く》る。
 代助は此|嫂《あによめ》を好《す》いてゐる。此|嫂《あによめ》は、天保調と明治の現代調を、容赦なく継《つ》ぎ合《あは》せた様な一種の人物である。わざ/\仏蘭西《ふらんす》にゐる義妹《いもうと》に注文して、六づかしい名のつく、頗る高価な織物《おりもの》を取寄せて、それを四五人で裁《た》つて、帯に仕立てゝ着《き》て見たり何《なに》かする。後《あと》で、それは日本から輸出したものだと云ふ事が分つて大笑ひになつた。三越陳列所へ行つて、それを調べて来たものは代助である。夫《それ》から西洋の音楽が好《す》きで、よく代助に誘ひ出されて聞《きゝ》に行く。さうかと思ふと易断《うらなひ》に非常な興味を有《も》つてゐる。石龍子《せきりうし》と尾島某《おじまなにがし》を大いに崇拝する。代助も二三度御|相伴《しようばん》に、俥《くるま》で易者《えきしや》の許《もと》迄|食付《くつつ》いて行つた事がある。
 誠太郎と云ふ子は近頃ベースボールに熱中してゐる。代助が行つて時々《とき/″\》球《たま》を投《な》げてやる事がある。彼は妙な希望を持つた子供である。毎年《まいとし》夏《なつ》の初めに、多くの焼芋《やきいも》屋が俄然として氷水《こほりみづ》屋に変化するとき、第一番に馳けつけて、汗も出ないのに、氷菓《アイスクリーム》を食《く》ふものは誠太郎である。氷菓《アイスクリーム》がないときには、氷水《こほりみづ》で我慢する。さうして得意になつて帰つて来《く》る。近頃では、もし相撲の常設館が出来たら、一番|先《さき》へ這入つて見たいと云つてゐる。叔父《おぢ》さん誰《だれ》か相撲を知りませんかと代助に聞いた事がある。
 縫《ぬひ》といふ娘《むすめ》は、何か云ふと、好《よ》くつてよ、知らないわと答へる。さうして日に何遍となくリボンを掛け易へる。近頃は※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]イオリンの稽古に行く。帰つて来《く》ると、鋸《のこぎり》の目立《めた》ての様な声を出して御浚ひをする。たゞし人が見てゐると決して遣《や》らない。室《へや》を締《し》め切《き》つて、きい/\云はせるのだから、親《おや》は可なり上手だと思つてゐる。代助丈が時々《とき/″\》そつと戸を明《あ》けるので、好《よ》くつてよ、知らないわと叱《しか》られる。
 兄《あに》は大抵不在|勝《がち》である。ことに忙《いそ》がしい時になると、家《うち》で食《く》ふのは朝食《あさめし》位なもので、あとは、何《ど》うして暮《くら》してゐるのか、二人《ふたり》の子供には全く分《わか》らない。同程度に於て代助にも分らない。是は分《わか》らない方が好《この》ましいので、必要のない限《かぎ》りは、兄《あに》の日々の戸外《こぐわい》生活に就て決して研究しないのである。
 代助は二人《ふたり》の子供に大変人望がある。嫂《あによめ》にも可《か》なりある。兄《あに》には、あるんだか、ないんだか分《わか》らない。会《たま》に兄《あに》と弟《おとゝ》が顔を合せると、たゞ浮世《うきよ》話をする。双方とも普通の顔で、大いに平気で遣《や》つてゐる。陳腐に慣《な》れ抜《ぬ》いた様子である。

       三の二

 代助の尤《もつと》も応《こた》へるのは親爺《おやぢ》である。好《い》い年《とし》をして、若《わか》い妾《めかけ》を持《も》つてゐるが、それは構《かま》はない。代助から云《い》ふと寧ろ賛成な位なもので、彼《かれ》は妾《めかけ》を置く余裕のないものに限《かぎ》つて、蓄妾《ちくしよう》の攻撃をするんだと考へてゐる。親爺《おやぢ》は又|大分《だいぶ》の八釜《やかま》し屋《や》である。小供のうちは心魂《しんこん》に徹《てつ》して困却した事がある。しかし成人《せいじん》の今日《こんにち》では、それにも別段辟易する必要を認《みと》めない。たゞ応《こた》へるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方共|大《たい》した変りはないと信じてゐる事である。それだから、自分の昔し世に処《
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