高木を誠吾と代助に托して、しばらく談話の圏外に出《で》た。誠吾は、何の苦もなく、神戸の宿屋《やどや》やら、楠公神社やら、手当り次第に話題を開拓して行つた。さうして、其中《そのうち》に自然令嬢の演ずべき役割を拵《こしら》えた。令嬢はたゞ簡単に、必要な言葉丈を点じては逃げた。代助と高木とは、始め同志社を問題にした。それから亜米利加の大学の状況に移つた。最後にエマーソンやホーソーンの名が出《で》た。代助は、高木に斯《か》う云ふ種類の知識があるといふ事を確めたけれども、たゞ確めた丈で、それより以上に深入《ふかいり》もしなかつた。従つて文学談は単に二三の人名と書名に終つて、少しも発展しなかつた。
梅子は固より初《はじめ》から断《た》えず口《くち》を動《うご》かしてゐた。其努力の重《おも》なるものは、無論自分の前にゐる令嬢の遠慮と沈黙を打ち崩すにあつた。令嬢は礼義上から云つても、梅子の間断《かんだん》なき質問に応じない訳に行かなかつた。けれども積極的に自分から梅子の心《こゝろ》を動《うご》かさうと力《つと》めた形迹は殆んどなかつた。たゞ物《もの》を云ふときに、少し首《くび》を横《よこ》に曲《ま》げる癖《くせ》があつた。それすらも代助には媚《こび》を売《う》るとは解釈|出来《でき》なかつた。
令嬢は京都で教育を受けた。音楽は、始《はじ》めは琴《こと》を習つたが、後にはピヤノに易《か》えた。※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]イオリンも少し稽古《けいこ》したが、此方《このほう》は手の使《つか》い方《かた》が六※[#小書き濁点付き平仮名つ、218−1]かしいので、まあ遣《や》らないと同じである。芝居は滅多に行つた事がなかつた。
「先達《せんだつ》ての歌舞伎座は如何《いかゞ》でした」と梅子が聞《き》いた時、令嬢は何とも答へなかつた。代助には夫《それ》が劇を解《かい》しないと云ふより、劇を軽蔑してゐる様に取れた。それだのに、梅子はつゞけて、同じ問題に就《つ》いて、甲の役者は何《ど》うだの、乙の役者は何《なん》だのと評し出《だ》した。代助は又|嫂《あによめ》が論理を踏《ふ》み外《はづ》したと思つた。仕方がないから、横合《よこあひ》から、
「芝居は御嫌ひでも、小説は御読みになるでせう」と聞《き》いて芝居の話を已めさした。令嬢は其時始めて、一寸《ちよつと》代助の方を見た。けれども答は案外に判然《はつきり》してゐた。
「いえ小説も」
令嬢の答を待ち受けてゐた、主客はみんな声を出《だ》して笑つた。高木は令嬢の為《ため》に説明の労を取つた。その云ふ所によると、令嬢の教育を受けたミス何《なん》とか云ふ婦人の影響で、令嬢はある点では殆んど清教徒《ピユリタン》の様に仕込まれてゐるのださうであつた。だから余程時代|後《おく》れだと、高木は説明のあとから批評さへ付《つ》け加へた。其時は無論|誰《だれ》も笑はなかつた。耶蘇教に対して、あまり好意を有《も》つてゐない父《ちゝ》は、
「それは結構だ」と賞《ほ》めた。梅子は、さう云ふ教育の価値を全く解《かい》する事が出来《でき》なかつた。にも拘はらず、
「本当にね」と趣味に適《かな》はない不得要領の言葉を使《つか》つた。誠吾は梅子の言葉が、あまり重い印象を先方に与へない様に、すぐ問題を易えた。
「ぢや英語は御上手でせう」
令嬢はいゝえと云つて、心持顔を赤くした。
十二の七
食事《しよくじ》が済《す》んでから、主客《しゆかく》は又応接|間《ま》に戻《もど》つて、話《はなし》を始《はじ》めたが、蝋燭《ろうそく》を継《つ》ぎ足《た》した様に、新《あた》らしい方へは急に火が移りさうにも見えなかつた。梅子は立つて、ピヤノの蓋《ふた》を開《あ》けて、
「何《なに》か一つ如何《いかゞ》ですか」と云ひながら令嬢を顧みた。令嬢は固より席を動かなかつた。
「ぢや、代さん、皮切《かはきり》に何か御|遣《や》り」と今度は代助に云つた。代助は人《ひと》に聞かせる程の上手でないのを自覚してゐた。けれども、そんな弁解をすると、問答が理窟|臭《くさ》く、しつこくなる許《ばかり》だから、
「まあ、蓋《ふた》を開《あ》けて御置《おおき》なさい。今《いま》に遣《や》るから」と答へたなり、何かなしに、無関係の事を話《はな》しつゞけてゐた。
一時間程して客《きやく》は帰《かへ》つた。四人《よつたり》は肩《かた》を揃へて玄関迄|出《で》た。奥へ這入る時、
「代助はまだ帰《かへ》るんぢやなからうな」と父《ちゝ》が云つた。代助はみんなから一足《ひとあし》後《おく》れて、鴨居《かもゐ》の上《うへ》に両手が届《とゞ》く様な伸《のび》を一つした。それから、人《ひと》のゐない応接|間《ま》と食堂を少しうろ/\して座敷へ来《き》て見ると、兄《あに》と嫂《
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