だま》つてゐれば、平岡からは、内心で、冷淡な奴《やつ》だと悪《わる》く思はれるに極《きま》つてゐる。けれども今《いま》の代助はさう云ふ非難に対して、殆んど無感覚である。又実際自分はさう熱烈な人間《にんげん》ぢやないと考へてゐる。三四年前の自分になつて、今の自分を批判して見れば、自分は、堕落してゐるかも知れない。けれども今の自分から三四年前の自分を回顧して見ると、慥かに、自己の道念を誇張して、得意に使ひ回《まは》してゐた。渡金《めつき》を金《きん》に通用させ様とする切《せつ》ない工面より、真鍮を真鍮で通《とほ》して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽《らく》である。と今は考へてゐる。
代助が真鍮を以て甘《あま》んずる様になつたのは、不意に大きな狂瀾に捲き込まれて、驚ろきの余り、心機一転の結果を来《き》たしたといふ様な、小説じみた歴史を有《も》つてゐる為《ため》ではない。全く彼れ自身に特有な思索と観察の力によつて、次第々々に渡金《めつき》を自分で剥がして来《き》たに過《す》ぎない。代助は此|渡金《めつき》の大半をもつて、親爺《おやぢ》が捺摺《なす》り付けたものと信じてゐる。其|時分《じぶん》は親爺《おやぢ》が金《きん》に見えた。多くの先輩が金《きん》に見えた。相当の教育を受けたものは、みな金《きん》に見えた。だから自分の渡金《めつき》が辛《つら》かつた。早く金《きん》になりたいと焦《あせ》つて見た。所が、他《ほか》のものゝ地金《ぢがね》へ、自分の眼光がぢかに打《ぶ》つかる様になつて以後は、それが急に馬鹿な尽力の様に思はれ出《だ》した。
代助は同時に斯う考へた。自分が三四年の間に、是迄変化したんだから、同じ三四年の間に、平岡も、かれ自身の経験の範囲内で大分変化してゐるだらう。昔しの自分なら、可成平岡によく思はれたい心から、斯んな場合には兄《あに》と喧嘩をしても、父《ちゝ》と口論をしても、平岡の為《ため》に計つたらう、又其|計《はか》つた通りを平岡の所へ来《き》て事々《こと/″\》しく吹聴したらうが、それを予期するのは、矢っ張り昔しの平岡で、今の彼は左程に友達を重くは見てゐまい。
それで肝心の話は一二言で已《や》めて、あとは色々な雑談に時を過《す》ごすうちに酒が出《で》た。三千代が徳利の尻《しり》を持つて御酌をした。
六の六
平岡は酔《よ》ふに従つて、段々|口《くち》が多くなつて来《き》た。此男《このをとこ》はいくら酔つても、中《なか》/\平生を離れない事がある。かと思ふと、大変に元気づいて、調子に一種の悦楽《えつらく》を帯びて来《く》る。さうなると、普通の酒家以上に、能く弁する上に、時としては比較的|真面目《まじめ》な問題を持ち出して、相手と議論を上下して楽《たの》し気《げ》に見える。代助は其昔し、麦酒《ビール》の壜《びん》を互《たがひ》の間《あひだ》に並《なら》べて、よく平岡と戦《たゝか》つた事を覚えてゐる。代助に取つて不思議とも思はれるのは、平岡が斯《か》う云ふ状態に陥つた時が、一番平岡と議論がしやすいと云ふ自覚であつた。又酒を呑んで本音《ほんね》を吐《は》かうか、と平岡の方からよく云つたものだ。今日《こんにち》の二人《ふたり》の境界は其|時分《じぶん》とは、大分|離《はな》れて来《き》た。さうして、其離れて、近《ちか》づく路《みち》を見出し悪《にく》い事実を、双方共に腹の中《なか》で心得てゐる。東京へ着《つ》いた翌日《あくるひ》、三年振りで邂逅した二人《ふたり》は、其時《そのとき》既《すで》に、二人《ふたり》ともに何時《いつ》か互《たがひ》の傍《そば》を立退《たちの》いてゐたことを発見した。
所が今日《けふ》は妙である。酒《さけ》に親《した》しめば親《した》しむ程、平岡が昔《むかし》の調子を出《だ》して来《き》た。旨《うま》い局所へ酒が回《まは》つて、刻下《こくか》の経済や、目前の生活や、又それに伴ふ苦痛やら、不平やら、心の底の騒《さわ》がしさやらを全然|痲痺《まひ》[#「痲痺」は底本では「痳痺」]して仕舞つた様に見える。平岡の談話は一躍《いちやく》して高《たか》い平面に飛び上《あ》がつた。
「僕は失敗したさ。けれども失敗しても働《はた》らいてゐる。又是からも働《はた》らく積《つもり》だ。君は僕の失敗したのを見て笑つてゐる。――笑はないたつて、要するに笑つてると同じ事に帰着するんだから構はない。いゝか、君は笑つてゐる。笑つてゐるが、其君《そのきみ》は何も為《し》ないぢやないか。君は世の中《なか》を、有《あり》の儘《まゝ》で受け取る男だ。言葉を換えて云ふと、意志を発展させる事の出来ない男だらう。意志がないと云ふのは嘘《うそ》だ。人間だもの。其証拠には、始終物足りないに違《ちがひ》ない。僕は僕の意志を現実社
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