。――どうも何《なん》ですな。大分御|忙《いそ》がしい様ですな。先生た余つ程|違《ちが》つてますね。――蟻なら種油《たねあぶら》を御注《おつ》ぎなさい。さうして苦《くる》しがつて、穴から出《で》て来《く》る所を一々《いち/\》殺すんです。何なら殺《ころ》しませうか」
「蟻ぢやない。斯《か》うして、天気の好《い》い時に、花粉を取《と》つて、雌蕊《しずゐ》へ塗り付《つ》けて置くと、今に実《み》が結《な》るんです。暇《ひま》だから植木屋から聞《き》いた通り、遣《や》つてる所だ」
「なある程。どうも重宝な世の中《なか》になりましたね。――然し盆栽は好《い》いもんだ。奇麗で、楽しみになつて」
代助は面倒臭《めんどくさ》いから返事をせずに黙つてゐた。やがて、
「悪戯《いたづら》も好加減《いゝかげん》に休《よ》すかな」と云ひながら立ち上《あ》がつて、縁側へ据付《すゑつけ》の、籐《と》の安楽|椅子《いす》に腰を掛けた。夫れ限《ぎ》りぽかんと何か考へ込んでゐる。門野《かどの》は詰《つま》らなくなつたから、自分の玄関|傍《わき》の三畳|敷《じき》へ引き取つた。障|子《じ》を開《あ》けて這入らうとすると、又縁側へ呼び返《かへ》された。
「平岡が今日《けふ》来《く》ると云つたつて」
「えゝ、来《く》る様な御話しでした」
「ぢや待《ま》つてゐやう」
代助は外出を見合せた。実は平岡の事が此間《このあひだ》から大分気に掛《かゝ》つてゐる。
平岡は此前《このぜん》、代助を訪問した当時、既《すで》に落ち付《つ》いてゐられない身分であつた。彼《かれ》自身の代助に語つた所によると、地位の心当りが二三ヶ所あるから、差し当り其方面へ運動して見る積りなんださうだが、其二三ヶ所が今どうなつてゐるか、代助は殆んど知らない。代助の方から神保町の宿《やど》を訪《たづ》ねた事が二返あるが、一度は留守であつた。一度は居つたには居《お》つた。が、洋服を着《き》た儘、部屋《へや》の敷居《しきゐ》の上に立つて、何《なに》か急《せわ》しい調子で、細君を極《き》め付《つ》けてゐた。――案内なしに廊下を伝《つた》つて、平岡の部屋の横《よこ》へ出《で》た代助には、突然ながら、たしかに左様《さう》取れた。其時平岡は一寸《ちよつと》振り向《む》いて、やあ君かと云つた。其顔にも容子にも、少しも快《こゝろ》よさゝうな所は見えなかつた。部
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