がら鉄瓶の湯を紅茶々碗の中《なか》へ注《さ》した。
「知りませんな。何《なん》ですか、先生は御存じなんですか」
「僕も知らないさ。知らないけれども、今の人間が、得《とく》にならないと思つて、あんな騒動をやるもんかね。ありや方便だよ、君」
「へえ、左様《そん》なもんですかな」と門野《かどの》は稍|真面目《まじめ》な顔をした。代助はそれぎり黙《だま》つて仕舞つた。門野《かどの》は是より以上通じない男である。是より以上は、いくら行つても、へえ左様《そん》なもんですかなで押し通して澄《す》ましてゐる。此方《こちら》の云ふことが応《こた》へるのだか、応へないのだか丸で要領を得ない。代助は、其所《そこ》が漠然として、刺激が要《い》らなくつて好《い》いと思つて書生に使つてゐるのである。其代り、学校へも行かず、勉強もせず、一日《いつにち》ごろ/\してゐる。君、ちつと、外国語でも研究しちやどうだなどゝ云ふ事がある。すると門野《かどの》は何時《いつ》でも、左様《さう》でせうか、とか、左様《そん》なもんでせうか、とか答《こた》へる丈である。決して為《し》ませうといふ事は口《くち》にしない。又かう、怠惰《なまけ》ものでは、さう判然《はつきり》した答《こたへ》が出来ないのである。代助の方でも、門野《かどの》を教育しに生《うま》れて来《き》た訳でもないから、好加減《いゝかげん》にして放《ほう》つて置く。幸《さいは》ひ頭《あたま》と違《ちが》つて、身体《からだ》の方は善く動《うご》くので、代助はそこを大いに重宝がつてゐる。代助ばかりではない、従来からゐる婆さんも門野《かどの》の御蔭で此頃は大変助かる様になつた。その原因で婆さんと門野《かどの》とは頗る仲《なか》が好《い》い。主人の留守などには、よく二人《ふたり》で話をする。
「先生は一体《いつたい》何《なに》を為《す》る気なんだらうね。小母《おば》さん」
「あの位《くらゐ》になつて入らつしやれば、何《なん》でも出来《でき》ますよ。心配するがものはない」
「心配はせんがね。何《なに》か為《し》たら好《よ》ささうなもんだと思ふんだが」
「まあ奥様でも御貰ひになつてから、緩つくり、御役でも御探《おさが》しなさる御積りなんでせうよ」
「いゝ積《つも》りだなあ。僕も、あんな風に一日《いちんち》本《ほん》を読んだり、音楽を聞きに行つたりして暮《くら》して居た
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