やぢ》の若い頃の様な野蛮時代にあつてこそ、生存に必要な資格かも知れないが、文明の今日から云へば、古風な弓術撃剣の類《たぐひ》と大差はない道具と、代助は心得てゐる。否、胆力とは両立し得ないで、しかも胆力以上に難有がつて然るべき能力が沢山ある様に考へられる。御父《おとう》さんから又胆力の講釈を聞いた。御父《おとう》さんの様に云ふと、世の中《なか》で石地蔵が一番|偉《えら》いことになつて仕舞ふ様だねと云つて、嫂《あによめ》と笑つた事がある。
斯う云ふ代助は無論臆病である。又臆病で恥づかしいといふ気は心《しん》から起らない。ある場合には臆病を以て自任したくなる位である。子供の時、親爺《おやぢ》の使嗾で、夜中《よなか》にわざ/\青山《あをやま》の墓地迄出掛けた事がある。気味のわるいのを我慢して一時間も居たら、たまらなくなつて、蒼青な顔をして家《うち》へ帰つて来《き》た。其折は自分でも残念に思つた。あくる朝《あさ》親爺《おやぢ》に笑はれたときは、親爺《おやぢ》が憎《にく》らしかつた。親爺《おやぢ》の云ふ所によると、彼《かれ》と同時代の少年は、胆力修養の為《た》め、夜半《やはん》に結束《けつそく》して、たつた一人《ひとり》、御|城《しろ》の北《きた》一里にある剣《つるぎ》が峰《みね》の天頂《てつぺん》迄|登《のぼ》つて、其所《そこ》の辻堂で夜明《よあかし》をして、日の出《で》を拝《おが》んで帰《かへ》つてくる習慣であつたさうだ。今の若いものとは心得|方《かた》からして違ふと親爺が批評した。
斯んな事を真面目《まじめ》に口《くち》にした、又今でも口《くち》にしかねまじき親爺《おやぢ》は気の毒なものだと、代助は考へる。彼は地震が嫌《きらひ》である。瞬間の動揺でも胸《むね》に波《なみ》が打《う》つ。あるときは書斎で凝《じつ》と坐《すは》つてゐて、何かの拍子に、あゝ地震が遠くから寄せて来《く》るなと感ずる事がある。すると、尻の下に敷《し》いてゐる坐蒲団も、畳《たゝみ》も、乃至|床《ゆか》板も明らかに震《ふる》へる様に思はれる。彼《かれ》はこれが自分の本来だと信じてゐる。親爺《おやぢ》の如きは、神経|未熟《みじゆく》の野人か、然らずんば己《おの》れを偽《いつ》はる愚者としか代助には受け取れないのである。
三の三
代助は今《いま》此《この》親爺《おやぢ》と対坐してゐる
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