赤い棒の立つてゐる停留所迄|歩《ある》いて来《き》た。そこで、
「三千代《みちよ》さんは何《ど》うした」と聞《き》いた。
「難有う、まあ相変らずだ。君に宜《よろ》しく云つてゐた。実は今日《けふ》連《つ》れて来《き》やうと思つたんだけれども、何だか汽車に揺《ゆ》れたんで頭《あたま》が悪《わる》いといふから宿《やど》屋へ置いて来《き》た」
電車が二人《ふたり》の前で留《と》まつた。平岡は二三歩|早足《はやあし》に行きかけたが、代助から注意されて已めた。彼《かれ》の乗るべき車はまだ着《つ》かなかつたのである。
「子供は惜《お》しい事をしたね」
「うん。可哀想な事をした。其節は又御叮嚀に難有う。どうせ死ぬ位なら生れない方が好《よ》かつた」
「其|後《ご》は何《ど》うだい。まだ後《あと》は出来ないか」
「うん、未《ま》だにも何にも、もう駄目《だめ》だらう。身体《からだ》があんまり好《よ》くないものだからね」
「こんなに動く時は小供のない方が却つて便利で可《い》いかも知れない」
「夫《それ》もさうさ。一層《いつそ》君の様に一人身《ひとりみ》なら、猶の事、気楽で可《い》いかも知れない」
「一人身《ひとりみ》になるさ」
「冗談云つてら――夫よりか、妻《さい》が頻りに、君はもう奥さんを持つたらうか、未《ま》だだらうかつて気にしてゐたぜ」
所へ電車が来《き》た。
三の一
代助《だいすけ》の父《ちゝ》は長井得《ながゐとく》といつて、御維新のとき、戦争に出《で》た経験のある位な老人であるが、今でも至極達者に生きてゐる。役人を已《や》めてから、実業界に這入つて、何《なに》か彼《かに》かしてゐるうちに、自然と金が貯《たま》つて、此十四五年来は大分《だいぶん》の財産家になつた。
誠吾《せいご》と云ふ兄《あに》がある。学校を卒業してすぐ、父《ちゝ》の関係してゐる会社へ出《で》たので、今では其所《そこ》で重要な地位を占める様になつた。梅子といふ夫人に、二人《ふたり》の子供《こども》が出来た。兄は誠太郎と云つて十五になる。妹は縫《ぬひ》といつて三つ違である。
誠吾《せいご》の外に姉がまだ一人《ひとり》あるが、是はある外交官に嫁いで、今は夫《おつと》と共に西洋にゐる。誠吾《せいご》と此姉の間にもう一人《ひとり》、それから此姉と代助の間にも、まだ一人《ひとり》兄弟があつたけれど
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