を下《おり》る平岡の影《かげ》を半町程手前から認《みと》めた。彼《かれ》は慥《たしか》に左様《さう》に違《ちがひ》ないと思つた。さうして、すぐ揚場《あげば》の方へ引《ひ》き返した。
 彼《かれ》は平岡の安否《あんぴ》を気《き》にかけてゐた。まだ坐食《ゐぐひ》の不安な境遇に居《お》るに違《ちがひ》ないとは思ふけれども、或は何《ど》の方面かへ、生活の行路《こうろ》を切り開く手掛りが出来《でき》たかも知れないとも想像して見た。けれども、それを確《たしか》める為《ため》に、平岡《ひらをか》の後《あと》を追ふ気にはなれなかつた。彼は平岡に面《めん》するときの、原因不明な一種の不快を予想する様になつた。と云つて、たゞ三千代の為《ため》にのみ、平岡の位地を心配する程、平岡を悪《にく》んでもゐなかつた。平岡の為《ため》にも、矢張り平岡の成功を祈る心はあつたのである。

       十の三

 斯んな風《ふう》に、代助は空虚なるわが心《こゝろ》の一角《いつかく》を抱《いだ》いて今日《こんにち》に至つた。いま先方《さきがた》門《かど》野を呼《よ》んで括《くゝ》り枕《まくら》を取《と》り寄《よ》せて、午寐《ひるね》を貪《むさ》ぼつた時は、あまりに溌溂たる宇宙の刺激に堪えなくなつた頭《あたま》を、出来《でき》るならば、蒼《あを》い色《いろ》の付《つ》いた、深《ふか》い水《みづ》の中《なか》に沈《しづ》めたい位に思つた。それ程|彼《かれ》は命《いのち》を鋭《するど》く感じ過《す》ぎた。従つて熱《あつ》い頭《あたま》を枕へ着《つ》けた時は、平岡も三千代も、彼に取つて殆んど存在してゐなかつた。彼は幸にして涼《すゞ》しい心持に寐《ね》た。けれども其|穏《おだ》やかな眠《ねむり》のうちに、誰《だれ》かすうと来《き》て、又すうと出《で》て行《い》つた様な心持がした。眼《め》を醒《さ》まして起《お》き上《あ》がつても其感じがまだ残つてゐて、頭《あたま》から拭《ぬぐ》ひ去る事が出来なかつた。それで門野を呼んで、寐《ね》てゐる間《あひだ》に誰《だれ》か来《き》はしないかと聞《き》いたのである。
 代助は両手を額《ひたひ》に当《あ》てゝ、高《たか》い空《そら》を面白さうに切《き》つて廻《まは》る燕《つばめ》の運動を椽側から眺めてゐたが、やがて、それが眼《め》ま苦《ぐる》しくなつたので、室《へや》の中《なか》
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