《は》つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨《ひさん》なものだ。牛《うし》と競争をする蛙《かへる》と同じ事で、もう君、腹《はら》が裂《さ》けるよ。其影響はみんな我々個人の上《うへ》に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、頭《あたま》に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日《こんにち》の、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊《こんぱい》と、身体の衰弱とは不幸にして伴《とも》なつてゐる。のみならず、道徳の敗退《はいたい》も一所に来《き》てゐる。日本国中|何所《どこ》を見渡したつて、輝《かゞや》いてる断面《だんめん》は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。其|間《あひだ》に立つて僕|一人《ひとり》が、何と云つたつて、何を為《し》たつて、仕様がないさ。僕は元来|怠《なま》けものだ。いや、君と一所に往来してゐる時分から怠《なま》けものだ。あの時は強ひて景気をつけてゐたから、君には有為多望の様に見えたんだらう。そりや今だつて、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。さうなれば遣《や》る事はいくらでもあるからね。さうして僕の怠惰性に打ち勝《か》つ丈の刺激も亦いくらでも出来て来《く》るだらうと思ふ。然し是ぢや駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分丈になつてゐる。さうして、君の所謂|有《あり》の儘の世界を、有の儘で受取つて、其|中《うち》僕に尤も適したものに接触を保つて満足する。進んで外《ほか》の人を、此方《こつち》の考へ通りにするなんて、到底|出来《でき》た話ぢやありやしないもの――」
代助は一寸《ちよつと》息《いき》を継《つ》いだ。さうして、一寸《ちよつと》窮屈《きうくつ》さうに控えてゐる三《み》千代の方を見て、御世辞を遣《つか》つた。
「三千代《みちよ》さん。どうです、私《わたし》の考《かんがへ》は。随分|呑気《のんき》で宜《い》いでせう。賛成しませんか」
「何《なん》だか厭世の様な呑気《のんき》の様な妙なのね。私《わたくし》よく分《わか》らないわ。けれども、少し胡麻化《ごまくわ》して入らつしやる様よ」
「へええ。何処
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