だま》つてゐれば、平岡からは、内心で、冷淡な奴《やつ》だと悪《わる》く思はれるに極《きま》つてゐる。けれども今《いま》の代助はさう云ふ非難に対して、殆んど無感覚である。又実際自分はさう熱烈な人間《にんげん》ぢやないと考へてゐる。三四年前の自分になつて、今の自分を批判して見れば、自分は、堕落してゐるかも知れない。けれども今の自分から三四年前の自分を回顧して見ると、慥かに、自己の道念を誇張して、得意に使ひ回《まは》してゐた。渡金《めつき》を金《きん》に通用させ様とする切《せつ》ない工面より、真鍮を真鍮で通《とほ》して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽《らく》である。と今は考へてゐる。
代助が真鍮を以て甘《あま》んずる様になつたのは、不意に大きな狂瀾に捲き込まれて、驚ろきの余り、心機一転の結果を来《き》たしたといふ様な、小説じみた歴史を有《も》つてゐる為《ため》ではない。全く彼れ自身に特有な思索と観察の力によつて、次第々々に渡金《めつき》を自分で剥がして来《き》たに過《す》ぎない。代助は此|渡金《めつき》の大半をもつて、親爺《おやぢ》が捺摺《なす》り付けたものと信じてゐる。其|時分《じぶん》は親爺《おやぢ》が金《きん》に見えた。多くの先輩が金《きん》に見えた。相当の教育を受けたものは、みな金《きん》に見えた。だから自分の渡金《めつき》が辛《つら》かつた。早く金《きん》になりたいと焦《あせ》つて見た。所が、他《ほか》のものゝ地金《ぢがね》へ、自分の眼光がぢかに打《ぶ》つかる様になつて以後は、それが急に馬鹿な尽力の様に思はれ出《だ》した。
代助は同時に斯う考へた。自分が三四年の間に、是迄変化したんだから、同じ三四年の間に、平岡も、かれ自身の経験の範囲内で大分変化してゐるだらう。昔しの自分なら、可成平岡によく思はれたい心から、斯んな場合には兄《あに》と喧嘩をしても、父《ちゝ》と口論をしても、平岡の為《ため》に計つたらう、又其|計《はか》つた通りを平岡の所へ来《き》て事々《こと/″\》しく吹聴したらうが、それを予期するのは、矢っ張り昔しの平岡で、今の彼は左程に友達を重くは見てゐまい。
それで肝心の話は一二言で已《や》めて、あとは色々な雑談に時を過《す》ごすうちに酒が出《で》た。三千代が徳利の尻《しり》を持つて御酌をした。
六の六
平岡は酔《よ》ふに従つて、
前へ
次へ
全245ページ中63ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング