、兄がどんな態度に変るか、試験して見たくもある。――其所《そこ》迄|来《き》て、代助は自分ながら、あんまり性質《たち》が能くないなと心《こころ》のうちで苦笑した。
 けれども、唯|一《ひと》つ慥《たしか》な事がある。平岡は早晩借用証書を携へて、自分の判を取りにくるに違ない。
 斯う考へながら、代助は床《とこ》を出た。門野《かどの》は茶《ちや》の間《ま》で、胡坐《あぐら》をかいて新聞を読んでゐたが、髪《かみ》を濡《ぬ》らして湯殿《ゆどの》から帰《かへ》つて来《く》る代助を見るや否や、急に坐三昧《ゐざんまい》を直《なほ》して、新聞を畳んで坐《ざ》蒲団の傍《そば》へ押《お》し遣《や》りながら、
「何《ど》うも『煤烟《ばいえん》』は大変な事になりましたな」と大きな声で云つた。
「君読んでるんですか」
「えゝ、毎朝《まいあさ》読《よ》んでます」
「面白《おもしろ》いですか」
「面白《おもしろ》い様ですな。どうも」
「何《ど》んな所が」
「何《ど》んな所がつて。さう改《あら》たまつて聞《き》かれちや困りますが。何ぢやありませんか、一体に、斯う、現代的の不安が出《で》てゐる様ぢやありませんか」
「さうして、肉の臭《にほ》ひがしやしないか」
「しますな。大いに」
 代助は黙《だま》つて仕舞つた。

       六の二

 紅茶々碗を持つた儘、書斎へ引き取つて、椅子へ腰《こし》を懸けて、茫然《ぼんやり》庭《には》を眺《なが》めてゐると、瘤《こぶ》だらけの柘榴《ざくろ》の枯枝《かれえだ》と、灰色《はいいろ》の幹《みき》の根方《ねがた》に、暗緑《あんりよく》と暗紅《あんかう》を混《ま》ぜ合《あ》はした様な若《わか》い芽が、一面に吹き出《だ》してゐる。代助の眼《め》には夫《それ》がぱつと映《えい》じた丈で、すぐ刺激を失つて仕舞つた。
 代助の頭《あたま》には今具体的な何物をも留《とゞ》めてゐない。恰かも戸外《こぐわい》の天気の様に、それが静《しづ》かに凝《じつ》と働《はた》らいてゐる。が、其底には微塵《みじん》の如き本体の分らぬものが無数に押し合つてゐた。乾酪《ちいず》の中《なか》で、いくら虫《むし》が動《うご》いても、乾酪《ちいず》が元《もと》の位置にある間《あひだ》は、気が付かないと同じ事で、代助も此|微震《びしん》には殆んど自覚を有してゐなかつた。たゞ、それが生理的に反射して来《く
前へ 次へ
全245ページ中55ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング