っているうちに手に持ったハンケチがぐしょぐしょになった。
 私は式が済むとすぐ帰って裸体《はだか》になった。下宿の二階の窓をあけて、遠眼鏡《とおめがね》のようにぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見えるだけの世の中を見渡した。それからその卒業証書を机の上に放り出した。そうして大の字なりになって、室《へや》の真中に寝そべった。私は寝ながら自分の過去を顧みた。また自分の未来を想像した。するとその間に立って一区切りを付けているこの卒業証書なるものが、意味のあるような、また意味のないような変な紙に思われた。
 私はその晩先生の家へ御馳走《ごちそう》に招かれて行った。これはもし卒業したらその日の晩餐《ばんさん》はよそで喰《く》わずに、先生の食卓で済ますという前からの約束であった。
 食卓は約束通り座敷の縁《えん》近くに据えられてあった。模様の織り出された厚い糊《のり》の硬《こわ》い卓布《テーブルクロース》が美しくかつ清らかに電燈の光を射返《いかえ》していた。先生のうちで飯《めし》を食うと、きっとこの西洋料理店に見るような白いリンネルの上に、箸《はし》や茶碗《ちゃわん》が置かれた。そうしてそれが必ず洗
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