二人の間にある生命《いのち》の扉を開ける鍵《かぎ》にはならなかった。むしろ二人の間に立って、自由の往来を妨げる魔物のようであった。
 そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差し向いで話をしなければならない時機が来た。その頃《ころ》は日の詰《つま》って行くせわしない秋に、誰も注意を惹《ひ》かれる肌寒《はださむ》の季節であった。先生の附近《ふきん》で盗難に罹《かか》ったものが三、四日続いて出た。盗難はいずれも宵の口であった。大したものを持って行かれた家《うち》はほとんどなかったけれども、はいられた所では必ず何か取られた。奥さんは気味をわるくした。そこへ先生がある晩家を空《あ》けなければならない事情ができてきた。先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外《ほか》の二、三名と共に、ある所でその友人に飯《めし》を食わせなければならなくなった。先生は訳を話して、私に帰ってくる間までの留守番を頼んだ。私はすぐ引き受けた。

     十六

 私《わたくし》の行ったのはまだ灯《ひ》の点《つ》くか点かない暮れ方であったが、几帳面《きちょうめん》な先生はもう宅《うち》にいな
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