皆《みん》ながそれを見て笑いました。その男は恥ずかしがって色々弁解しましたが、折角《せっかく》の胴着を行李《こうり》の底へ放《ほう》り込んで利用しないのです。それをまた大勢が寄ってたかって、わざと着せました。すると運悪くその胴着に蝨《しらみ》がたかりました。友達はちょうど幸《さいわ》いとでも思ったのでしょう、評判の胴着をぐるぐると丸めて、散歩に出たついでに、根津《ねづ》の大きな泥溝《どぶ》の中へ棄《す》ててしまいました。その時いっしょに歩いていた私は、橋の上に立って笑いながら友達の所作《しょさ》を眺《なが》めていましたが、私の胸のどこにも勿体《もったい》ないという気は少しも起りませんでした。
その頃から見ると私も大分《だいぶ》大人になっていました。けれどもまだ自分で余所行《よそゆき》の着物を拵えるというほどの分別《ふんべつ》は出なかったのです。私は卒業して髯《ひげ》を生やす時代が来なければ、服装の心配などはするに及ばないものだという変な考えをもっていたのです。それで奥さんに書物は要《い》るが着物は要らないといいました。奥さんは私の買う書物の分量を知っていました。買った本をみんな読むの
前へ
次へ
全371ページ中231ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング