す前に母に向かっていった。
「先生に手紙を書きましたよ。あなたのおっしゃった通り。ちょっと読んでご覧なさい」
母は私の想像したごとくそれを読まなかった。
「そうかい、それじゃ早くお出し。そんな事は他《ひと》が気を付けないでも、自分で早くやるものだよ」
母は私をまだ子供のように思っていた。私も実際子供のような感じがした。
「しかし手紙じゃ用は足りませんよ。どうせ、九月にでもなって、私が東京へ出てからでなくっちゃ」
「そりゃそうかも知れないけれども、またひょっとして、どんな好《い》い口がないとも限らないんだから、早く頼んでおくに越した事はないよ」
「ええ。とにかく返事は来るに極《きま》ってますから、そうしたらまたお話ししましょう」
私はこんな事に掛けて几帳面《きちょうめん》な先生を信じていた。私は先生の返事の来るのを心待ちに待った。けれども私の予期はついに外《はず》れた。先生からは一週間|経《た》っても何の音信《たより》もなかった。
「大方《おおかた》どこかへ避暑にでも行っているんでしょう」
私は母に向かって言訳《いいわけ》らしい言葉を使わなければならなかった。そうしてその言葉は母
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