尋ねてみました。上さんは「そうですね」といって、少時《しばらく》首をかしげていましたが、「かし家《や》はちょいと……」と全く思い当らない風《ふう》でした。私は望《のぞみ》のないものと諦《あき》らめて帰り掛けました。すると上さんがまた、「素人下宿《しろうとげしゅく》じゃいけませんか」と聞くのです。私はちょっと気が変りました。静かな素人屋《しろうとや》に一人で下宿しているのは、かえって家《うち》を持つ面倒がなくって結構だろうと考え出したのです。それからその駄菓子屋の店に腰を掛けて、上さんに詳しい事を教えてもらいました。
それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清《にっしん》戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷《いちがや》の士官《しかん》学校の傍《そば》とかに住んでいたのだが、厩《うまや》などがあって、邸《やしき》が広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人《ぶにん》で淋《さむ》しくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人《びぼうじん》と一人娘と下女《げじょ》より外《ほか》にいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極《しごく》好かろうと心の中《うち》に思いました。けれどもそんな家族のうちに、私のようなものが、突然行ったところで、素性《すじょう》の知れない書生さんという名称のもとに、すぐ拒絶されはしまいかという掛念《けねん》もありました。私は止《よ》そうかとも考えました。しかし私は書生としてそんなに見苦しい服装《なり》はしていませんでした。それから大学の制帽を被《かぶ》っていました。あなたは笑うでしょう、大学の制帽がどうしたんだといって。けれどもその頃の大学生は今と違って、大分《だいぶ》世間に信用のあったものです。私はその場合この四角な帽子に一種の自信を見出《みいだ》したくらいです。そうして駄菓子屋の上さんに教わった通り、紹介も何もなしにその軍人の遺族の家《うち》を訪ねました。
私は未亡人《びぼうじん》に会って来意《らいい》を告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支《さしつか》
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