。この木がすっかり黄葉《こうよう》して、ここいらの地面は金色《きんいろ》の落葉で埋《うず》まるようになります」といった。先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。
向うの方で凸凹《でこぼこ》の地面をならして新墓地を作っている男が、鍬《くわ》の手を休めて私たちを見ていた。私たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出た。
これからどこへ行くという目的《あて》のない私は、ただ先生の歩く方へ歩いて行った。先生はいつもより口数を利《き》かなかった。それでも私はさほどの窮屈を感じなかったので、ぶらぶらいっしょに歩いて行った。
「すぐお宅《たく》へお帰りですか」
「ええ別に寄る所もありませんから」
二人はまた黙って南の方へ坂を下りた。
「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」と私がまた口を利き出した。
「いいえ」
「どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか」
「いいえ」
先生はこれ以外に何も答えなかった。私もその話はそれぎりにして切り上げた。すると一|町《ちょう》ほど歩いた後《あと》で、先生が不意にそこへ戻って来た。
「あすこには私の友達の墓があるんです」
「お友達のお墓へ毎月《まいげつ》お参りをなさるんですか」
「そうです」
先生はその日これ以外を語らなかった。
六
私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であった。先生に会う度数《どすう》が重なるにつれて、私はますます繁《しげ》く先生の玄関へ足を運んだ。
けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶《あいさつ》をした時も、懇意になったその後《のち》も、あまり変りはなかった。先生は何時《いつ》も静かであった。ある時は静か過ぎて淋《さび》しいくらいであった。私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感が後《のち》になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿《ばか》げていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉《うれ》しく思っている。人間を愛し得《う》る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐《ふところ
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