我々はそれを言葉の上に表わすのを憚《はば》かった。そうしてお互いにお互いがどんな事を思っているかをよく理解し合っていた。
「お父さんは、まだ治る気でいるようだな」と兄が私にいった。
実際兄のいう通りに見えるところもないではなかった。近所のものが見舞にくると、父は必ず会うといって承知しなかった。会えばきっと、私の卒業祝いに呼ぶ事ができなかったのを残念がった。その代り自分の病気が治ったらというような事も時々付け加えた。
「お前の卒業祝いは已《や》めになって結構だ。おれの時には弱ったからね」と兄は私の記憶を突ッついた。私はアルコールに煽《あお》られたその時の乱雑な有様を想《おも》い出して苦笑した。飲むものや食うものを強《し》いて廻《まわ》る父の態度も、にがにがしく私の眼に映った。
私たちはそれほど仲の好《い》い兄弟ではなかった。小《ち》さいうちは好《よ》く喧嘩《けんか》をして、年の少ない私の方がいつでも泣かされた。学校へはいってからの専門の相違も、全く性格の相違から出ていた。大学にいる時分の私は、ことに先生に接触した私は、遠くから兄を眺《なが》めて、常に動物的だと思っていた。私は長く兄に会わなかったので、また懸け隔たった遠くにいたので、時からいっても距離からいっても、兄はいつでも私には近くなかったのである。それでも久しぶりにこう落ち合ってみると、兄弟の優《やさ》しい心持がどこからか自然に湧《わ》いて出た。場合が場合なのもその大きな源因《げんいん》になっていた。二人に共通な父、その父の死のうとしている枕元《まくらもと》で、兄と私は握手したのであった。
「お前これからどうする」と兄は聞いた。私はまた全く見当の違った質問を兄に掛けた。
「一体|家《うち》の財産はどうなってるんだろう」
「おれは知らない。お父さんはまだ何ともいわないから。しかし財産っていったところで金としては高《たか》の知れたものだろう」
母はまた母で先生の返事の来るのを苦にしていた。
「まだ手紙は来ないかい」と私を責めた。
十五
「先生先生というのは一体|誰《だれ》の事だい」と兄が聞いた。
「こないだ話したじゃないか」と私《わたくし》は答えた。私は自分で質問をしておきながら、すぐ他《ひと》の説明を忘れてしまう兄に対して不快の念を起した。
「聞いた事は聞いたけれども」
兄は必竟《ひっきょう》
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