や》へ持って来て、残らず眼を通した。私の眼は長い間、軍服を着た乃木大将と、それから官女《かんじょ》みたような服装《なり》をしたその夫人の姿を忘れる事ができなかった。
悲痛な風が田舎の隅まで吹いて来て、眠たそうな樹《き》や草を震わせている最中《さいちゅう》に、突然私は一通の電報を先生から受け取った。洋服を着た人を見ると犬が吠《ほ》えるような所では、一通の電報すら大事件であった。それを受け取った母は、はたして驚いたような様子をして、わざわざ私を人のいない所へ呼び出した。
「何だい」といって、私の封を開くのを傍《そば》に立って待っていた。
電報にはちょっと会いたいが来られるかという意味が簡単に書いてあった。私は首を傾けた。
「きっとお頼《たの》もうしておいた口の事だよ」と母が推断してくれた。
私もあるいはそうかも知れないと思った。しかしそれにしては少し変だとも考えた。とにかく兄や妹《いもと》の夫まで呼び寄せた私が、父の病気を打遣《うちや》って、東京へ行く訳には行かなかった。私は母と相談して、行かれないという返電を打つ事にした。できるだけ簡略な言葉で父の病気の危篤《きとく》に陥りつつある旨《むね》も付け加えたが、それでも気が済まなかったから、委細《いさい》手紙として、細かい事情をその日のうちに認《したた》めて郵便で出した。頼んだ位地の事とばかり信じ切った母は、「本当に間《ま》の悪い時は仕方のないものだね」といって残念そうな顔をした。
十三
私《わたくし》の書いた手紙はかなり長いものであった。母も私も今度こそ先生から何とかいって来るだろうと考えていた。すると手紙を出して二日目にまた電報が私|宛《あて》で届いた。それには来ないでもよろしいという文句だけしかなかった。私はそれを母に見せた。
「大方《おおかた》手紙で何とかいってきて下さるつもりだろうよ」
母はどこまでも先生が私のために衣食の口を周旋してくれるものとばかり解釈しているらしかった。私もあるいはそうかとも考えたが、先生の平生から推《お》してみると、どうも変に思われた。「先生が口を探してくれる」。これはあり得《う》べからざる事のように私には見えた。
「とにかく私の手紙はまだ向うへ着いていないはずだから、この電報はその前に出したものに違いないですね」
私は母に向かってこんな分り切った事をいった。母は
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