けれども其割《そのわり》から云ふと要吉は薄つぽいものである。何故《なぜ》と云へば、要吉の言動が、かゝる境遇の下に置かれたる普通の人のなすべき言動以外には一歩も出てゐないからである。要吉でなくつても、誰を捉《とら》へて来ても、斯《か》う云ふ境遇の下に置いたら、矢つ張り要吉の通りに働くだらうと思はれるからである。従つて是は要吉であつて、明吉《めいきち》でも太吉《たきち》でも半吉《はんきち》でもないといふ特殊の性格を与へてゐない。余は要吉の言動を読んで要吉と共に陰鬱にはなる、けれども成程《なるほど》要吉とはこんな種類の人間であると、著者から教へられた事がない。性格を上手にかく人は、これ程《ほど》烈《はげ》しい事件の下に主人公を置かないでも、淡々たる尋常の些事《さじ》のうちに動かすべからざる其人《そのひと》の特色を発揮し得るものである。
以上は余が煤煙の前篇を読み直して得た感想である。其《その》当否はいざ知らずとして、此《この》書を読む人の参考に多少なりはすまいかと思《おもつ》て序文とした。其裏面に追随する長所に至つては、読者の一見してすぐ気の付く事のみだからわざと略した。
底本:「漱
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