《ひと》に伝へ得る様な言葉に引き延ばして見ると斯《か》うである。――煤煙の後篇はどうもケレン[#「ケレン」に傍点]が多くつて不可《いけ》ない。非常に痛切なことを道楽半分人に見せる為に書いてゐる様な気がする。所が前半には其弊《そのへい》が大分《だいぶん》少い。一種の空気がずつと貫いて陰鬱な色が万遍《まんべん》なく自然《じねん》に出てゐる。此《この》意味に於《おい》て著者が前篇|丈《だけ》を世に公けにするのは余の賛成する所である。
此《この》前篇の特色として、読者に注意したいのは、事件の充実と云ふ事である。それを少し布衍して云ふと、事件が走馬燈の如《ごと》くに出てくると云ふ意味である。もう一つ外《ほか》の言葉で説明すると、事件が発展的に叙せられないで、読者を圧迫する程ひし/\と並んで寄せ掛るのである。恰《あたか》も金を接《つ》ぎ合せた様に寸分の隙間なく寄せてくる。従つて読者は息が継《つ》げない。事件に引き付けられて息が継《つ》げないと云つても嘘ではないが、実を云ふと、寧《むし》ろ苦しくつて息を継《つ》ぐ余裕を著書から与へられないのである。此《この》状態は半《なか》ば事件|其物《そのもの》
前へ
次へ
全6ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング