《ひと》に伝へ得る様な言葉に引き延ばして見ると斯《か》うである。――煤煙の後篇はどうもケレン[#「ケレン」に傍点]が多くつて不可《いけ》ない。非常に痛切なことを道楽半分人に見せる為に書いてゐる様な気がする。所が前半には其弊《そのへい》が大分《だいぶん》少い。一種の空気がずつと貫いて陰鬱な色が万遍《まんべん》なく自然《じねん》に出てゐる。此《この》意味に於《おい》て著者が前篇|丈《だけ》を世に公けにするのは余の賛成する所である。
此《この》前篇の特色として、読者に注意したいのは、事件の充実と云ふ事である。それを少し布衍して云ふと、事件が走馬燈の如《ごと》くに出てくると云ふ意味である。もう一つ外《ほか》の言葉で説明すると、事件が発展的に叙せられないで、読者を圧迫する程ひし/\と並んで寄せ掛るのである。恰《あたか》も金を接《つ》ぎ合せた様に寸分の隙間なく寄せてくる。従つて読者は息が継《つ》げない。事件に引き付けられて息が継《つ》げないと云つても嘘ではないが、実を云ふと、寧《むし》ろ苦しくつて息を継《つ》ぐ余裕を著書から与へられないのである。此《この》状態は半《なか》ば事件|其物《そのもの》の性質から出る事も序《ついで》に注意したい。煤煙の主人公が郷里《きやうり》へ帰つてから又東京へ引き返す迄に、遭遇したり回想したりする事件は、決して尋常のものではない。悉《こと/″\》く飛び離れて強烈な色采《しきさい》を有してゐるもの許《ばかり》である。要吉は犬の耳を塩漬《しほつけ》にしてゐる女の夢を見たと書いてある。主人公は一|場《ぢやう》の夢に至る迄、何か天下を驚かす様な内容でなければ気が済まないのだとしか解釈出来ない。
夫《それ》だから読者の受ける感じの中には、著者が非常に苦心したなと云ふ自覚が起ると同時に、それが自分の額に反映して読む事が既に苦しくなる場合もある。又事件があまり派出《はで》に並んでゐるために、(其《その》調子は厭《いや》に陰鬱ではあるけれども)殆んどセンセーシヨナルな安つぽい小説と脊中合せをしてゐる様な気も起る。
事件が是程《これほど》充実してゐる割に性格が出てゐないのが不思議である。著者はあれ程《ほど》性格が書いてあれば沢山ぢやないかと云ふかも知れないが、余の云ふ性格は要吉の特色を指すのである。篇中に書いてあるのは要吉の境遇である。是《これ》は濃く出てゐる。
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