州に居るだろう。余は出版の時機に後《おく》れないで、病中の君の為に、「土」に就いて是丈《これだけ》の事を言い得たのを喜こぶのである。余がかつて「土」を「朝日」に載せ出した時、ある文士が、我々は「土」などを読む義務はないと云ったと、わざわざ余に報知して来たものがあった。此時余は此文士は何の為に罪もない「土」の作家を侮辱するのだろうと思って苦々《にがにが》しい不愉快を感じた。理窟《りくつ》から云って、読まねばならない義務のある小説というものは、其小説の校正者か、内務省の検閲官以外にそうあろう筈《はず》がない。わざわざ断わらんでも厭《いや》なら厭で黙って読まずに居れば夫迄《それまで》である。もし又名の知れない人の書いたものだから読む義務はないと云うなら、其人は只《ただ》名前|丈《だけ》で小説を読む、内容などには頓着《とんじゃく》しない、門外漢と一般である。文士ならば同業の人に対して、たとい無名氏にせよ、今少しの同情と尊敬があって然るべきだと思う。余は「土」の作者が病気だから、此場合には猶《な》お更《さ》らそう云いたいのである。
  明治四十五年五月



底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集
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