君の玄関に立ったのは、池辺君の母堂が死んで丁度《ちょうど》三十五日に相当する日とかで、長塚君はただ立ちながら用事|丈《だけ》を頼んで帰ったそうであるが、それから三日して肝心《かんじん》の池辺君も突然|亡《な》くなって仕舞《しま》ったから、同君の序はとうとう手に入らなかったのである。
 余は「彼岸過迄」を片付けるや否や前約を踏んで「土」の校正刷を読み出した。思ったよりも長篇なので、前後半日と中一日を丸潰《まるつぶ》しにして漸《ようや》く業を卒《お》えて考えて見ると、中々骨の折れた作物である。余は元来が安価な人間であるから、大抵の人のものを見ると、すぐ感心したがる癖があるが、此「土」に於《おい》ても全くそうであった。先《ま》ず何よりも先に、是《これ》は到底《とうてい》余に書けるものでないと思った。次に今の文壇で長塚君を除いたら誰が書けるだろうと物色して見た。すると矢張《やはり》誰にも書けそうにないという結論に達した。
 尤《もっと》も誰にも書けないと云うのは、文を遣《や》る技倆《ぎりょう》の点や、人間を活躍させる天賦《てんぷ》の力を指すのではない。もし夫《そ》れ丈《だけ》の意味で誰も長塚君に及ばないというなら、一方では他の作家を侮辱した言葉にもなり、又一方では長塚君を担《かつ》ぎ過ぎる策略とも取れて、何方《どちら》にしても作者の迷惑になる計《ばかり》である。余の誰も及ばないというのは、作物中に書いてある事件なり天然なりが、まだ長塚君以外の人の研究に上っていないという意味なのである。
「土」の中に出て来る人物は、最も貧しい百姓である。教育もなければ品格もなければ、ただ土の上に生み付けられて、土と共に生長した蛆《うじ》同様に憐《あわ》れな百姓の生活である。先祖以来茨城の結城郡《ゆうきぐん》に居を移した地方の豪族として、多数の小作人を使用する長塚君は、彼等の獣類に近き、恐るべく困憊《こんぱい》を極《きわ》めた生活状態を、一から十迄誠実に此「土」の中に収め尽したのである。彼等の下卑で、浅薄で、迷信が強くて、無邪気で、狡猾《こうかつ》で、無欲で、強欲で、殆《ほと》んど余等(今の文壇の作家を悉《ことごと》く含む)の想像にさえ上りがたい所を、ありありと眼に映るように描写したのが「土」である。そうして「土」は長塚君以外に何人も手を着けられ得ない、苦しい百姓生活の、最も獣類に接近した部分
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