余が現在の頭を支配し余が将来の仕事に影響するものは残念ながら、わが祖先のもたらした過去でなくって、かえって異人種の海の向うから持って来てくれた思想である。一日余は余の書斎に坐って、四方に並べてある書棚を見渡して、その中に詰まっている金文字の名前が悉《ことごと》く西洋語であるのに気が付いて驚いた事がある。今まではこの五彩《ごさい》の眩《まば》ゆいうちに身を置いて、少しは得意であったが、気が付いて見ると、これらは皆異国産の思想を青く綴《と》じたり赤く綴じたりしたもののみである。単に所有という点からいえば聊《いささ》か富という念も起るが、それは親の遺産を受け継いだ富ではなくって、他人の家へ養子に行って、知らぬものから得た財産である。自分に利用するのは養子の権利かも知れないが、こんなものの御蔭を蒙るのは一人前《いちにんまえ》の男としては気が利《き》かな過ぎると思うと、あり余る本を四方に積みながら非常に意気地《いくじ》のない心持がした。
『東洋美術図譜』は余にこういう料簡《りょうけん》の起《おこ》った当時に出版されたものである。これは友人|滝《たき》君が京都大学で本邦美術史の講演を依託された際、聴衆に説明の必要があって、建築、彫刻、絵画の三門にわたって、古来から保存された実物を写真にしたものであるから、一枚一枚に観て行くと、この方面において、わが日本人が如何なる過去をわれわれのために拵《こしら》えて置いてくれたかが善《よ》く分る。余の如き財力の乏しいものには参考として甚だ重宝《ちょうほう》な出版である。文学において悲観した余はこの図譜を得たために多少心細い気分を取り直した。図譜中にある建築彫刻絵画ともに、あるものは公平に評したら下らないだろうと思う。あるものは『源氏物語』や近松や西鶴以下かも知れない。しかしその優《すぐ》れたものになると決して文学程度のものとはいえない。われわれ日本の祖先がわれわれの背景として作ってくれたといって恥ずかしくないものが大分ある。
西洋の物数奇《ものずき》がしきりに日本の美術を云々《うんぬん》する。しかしこれは千人のうちの一人で、あくまでも物数奇の説だと心得て聞かなければならない。大体の上からいうと、そういう物数奇もやはり西洋の方が日本より偉いと思っているのだろう。余も残念ながらそう考える。もし日本に文学なり美術なりが出来るとすればこれからであ
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング