第一の作物である。有名になった事が左程《さほど》の自慢にはならぬが、墨汁一滴のうちで暗《あん》に余を激励した故人に対しては、此作を地下に寄するのが或は恰好《かっこう》かも知れぬ。季子は剣を墓にかけて、故人の意に酬《むく》いたと云うから、余も亦《また》「猫」を碣頭《けっとう》に献じて、往日の気の毒を五年後の今日に晴そうと思う。
 子規は死ぬ時に糸瓜《へちま》の句を咏《よ》んで死んだ男である。だから世人は子規の忌日を糸瓜忌と称え、子規自身の事を糸瓜仏となづけて居る。余が十余年前子規と共に俳句を作った時に
  長けれど何の糸瓜とさがりけり
という句をふらふらと得た事がある。糸瓜に縁があるから「猫」と共に併《あわ》せて地下に捧げる。
  どつしりと尻を据《す》えたる南瓜《かぼちゃ》かな
と云う句も其頃作ったようだ。同じく瓜と云う字のつく所を以て見ると南瓜も糸瓜も親類の間柄《あいだがら》だろう。親類付合のある南瓜の句を糸瓜仏に奉納するのに別段の不思議もない筈《はず》だ。そこで序《ついで》ながら此句も霊前に献上する事にした。子規は今どこにどうして居るか知らない。恐らくは据《す》えるべき尻がないので落付をとる機械に窮しているだろう。余は未《いま》だに尻を持って居る。どうせ持っているものだから、先《ま》ずどっしりと、おろして、そう人の思わく通り急には動かない積《つも》りである。然し子規は又例の如く尻持たぬわが身につまされて、遠くから余の事を心配するといけないから、亡友に安心をさせる為め一言断って置く。
  明治三十九年十月



底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房 
   1972(昭和47)年1月10日第1刷発行
※外字注記した「※[#コト、1−2−24]」は、昔カタカナの文章の中で、「こと」と読ませたもの。(校正者記す)
入力:Nana ohbe
校正:米田進
2002年5月10日作成
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