ン》ノ焼芋《やきいも》ノ味ハドンナカ聞キタイ。
 不折ハ今|巴里《パリ》ニ居テコーラン[#「コーラン」に傍線]ノ処へ通ッテ居ルソウジャナイカ。君ニ逢《お》ウタラ鰹節一本贈ルナドトイウテ居タガ、モーソンナ者ハ食ウテシマッテアルマイ。
 虚子ハ男子ヲ挙ゲタ。僕ガ年尾[#「年尾」に傍線]トツケテヤッタ。
 錬郷死ニ非風死ニ皆僕ヨリ先ニ死ンデシマッタ。
 僕ハ迚《とて》モ君ニ再会スル※[#コト、1−2−24]《こと》ハ出来ヌト思ウ。万一出来タトシテモ其時ハ話モ出来ナクナッテルデアロー。実ハ僕ハ生キテイルノガ苦シイノダ。僕ノ日記ニハ「古白曰来」ノ四字ガ特書シテアル処ガアル。
 書キタイ※[#コト、1−2−24]《こと》ハ多イガ苦シイカラ許シテクレ玉エ。
  明治卅四年十一月六日灯下ニ書ス
[#地より2字上げ]東京 子規 拝
  倫敦《ロンドン》ニテ
   漱石 兄
 此手紙は美濃紙へ行書でかいてある。筆力は垂死の病人とは思えぬ程慥《たしか》である。余は此手紙を見る度《たび》に何だか故人に対して済まぬ事をしたような気がする。書きたいことは多いが苦しいから許してくれ玉え[#「書きたいことは多いが苦しいから許してくれ玉え」に傍点]とある文句は露佯《つゆいつわ》りのない所だが、書きたいことは書きたいが、忙がしいから許してくれ玉えと云う余の返事には少々の遁辞《とんじ》が這入《はい》って居る。憐《あわ》れなる子規は余が通信を待ち暮らしつつ、待ち暮らした甲斐《かい》もなく呼吸《いき》を引き取ったのである。
 子規はにくい男である。嘗《かつ》て墨汁一滴か何かの中に、独乙《ドイツ》では姉崎や、藤代が独乙語で演説をして大喝采《だいかっさい》を博しているのに漱石は倫敦《ロンドン》の片田舎《かたいなか》の下宿に燻《くすぶ》って、婆さんからいじめられていると云う様な事をかいた。こんな事をかくときは、にくい男だが、書きたいことは多いが、苦しいから許してくれ玉え[#「書きたいことは多いが、苦しいから許してくれ玉え」に傍点]抔《など》と云われると気の毒で堪《たま》らない。余は子規に対して此気の毒を晴らさないうちに、とうとう彼を殺して仕舞《しま》った。
 子規がいきて居たら「猫」を読んで何と云うか知らぬ。或《あるい》は倫敦消息は読みたいが「猫」は御免《ごめん》だと逃げるかも分らない。然し「猫」は余を有名にした
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