ら、あとに私達二人だけ残つて、私には向うの俳優学校へ入つて、二三年勉強したら好《い》いだらうと云つてゐらつしやいましたが、それも悲しい、思ひ出になつてしまひました。此の頃先生は、西洋へ持つていらつしやる脚本を拵《こしら》へる為に、種々《いろ/\》材料を集めてゐらつしやいましたが、それも皆悲しい遺品《かたみ》になつてしまひました。
先生のお亡くなりになつたのは、五日の午前二時近くだつたと云ひますが、私は、そんなことはちつとも知らずに、其の時分は明治座で一心に舞台稽古をしてゐたのです。今其の事を考へますと、何とも云ひやうのない、情けない悲しい思ひがいたします。
私は家を出たのは、四日の正午《ひる》頃でした。其の時分は、先生は特別に苦しい様子もありませんでした。ですから私は、無論それが最後にならうなどと云ふことは更に思ひ掛けませんでした。先生は其の時、「しつかり稽古をしてきてくれ」と云ふ意味のことをおつしやつて、私を励ましてくださいましたが、それが生涯忘れられない最後になつてしまひました。
明治座の舞台稽古は、衣裳や鬘《かつら》の都合で、甚《ひど》く遅くなつたのです。私は其の間、早く稽
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