古を済して、帰りたいと思つてゐました。それで漸《やうや》く稽古が済んだのは、もう五日の午前二時頃でした。私は稽古を終へて、衣裳や鬘を脱いでゐると、其処へ、先生がお悪いから、早く帰つてくださいと云つて知らしてきましたから、私は取るものも取りあへず、夢中に楽屋口に待つてゐた俥《くるま》に乗つかつて帰つてきたのです。ですが其の時も、先生がお亡くなりになつたと云ふことは少しも知りませんでした。私は、唯先生が寂しく私の帰りを待つてゐらつしやるだらうと思つて、帰る途中も気が気でありませんでした。唯私は、其の間も物悲しくなつて、泣いてばかりゐました。其の中《うち》に、俥が家の門前へきて止りました。すると私は、一時に胸が込みあげてきて、声をあげて泣きました。ですが、泣いてなんぞ入つて行つては、反《かへ》つて先生のお気を悪くしてはならないと思ひましたから、私は階段のところで声を呑み、流れる涙を押拭つて、二階へ上つて先生のやすんでゐらつしやる部屋へ行きましたが、もう駄目でした。其の時の気持と云つたらありませんでした。丁度|後方《うしろ》から、いきなり首でも締められたやうに、一時に呼吸が止つてしまひました。本当に其の時の悲しさと云つたらありませんでした。さうして、私が帰つた時は、先生はもう氷のやうに、冷たくなつてしまつてゐらつしやいました。私は其の時、何《ど》うにかしてよみがへらないものかと思ひました。だつて私は、何うしても、先生がお亡くなりなすつたのだとは思はれませんでした。考へると、本当に悲しい涙の種ばかりです。
[#地付き](「演芸画報」大正七・一二)
底本:「「弔辞」集成 鎮魂の賦」青銅社
1986(昭和61)年10月15日新装改訂版第1刷発行
1987(昭和62)年2月10日新装改訂版第7刷発行
初出:「演芸画報」
1918(大正7)年12月
入力:鈴木厚司
校正:染川隆俊
2010年3月3日作成
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