がだん/\家ちかく身ぢかく来て鳴きつゞける、しみ/″\とした気分で聴いてゐる。
蟻よ、君の勤勉には頭がさがるが、家の中まではいつてくれるな、からだを螫さないやうに頼むよ。
母蜘蛛よ、子袋は重からうな、大切にしなさい。
――無くなつた、やつと見つかつた、ほつとした、それは巻煙草一本のゆくへである、――神経衰弱的動作はよろしくない。――
暮れて暮羊君来庵、先夜の連中に対して不平をならべる、近日、飲み直すことにする、何とか彼とか、酒飲は酒を飲む機会と口実とをつかむものである!

 七月廿一日[#「七月廿一日」に二重傍線] 晴。

沈静、句稿整理。
暮羊居から新聞を借りて読む、婦人公論も。
まつたく土用だ、よい暑さだ!
夕風に吹かれて散歩、飲みたくなつて、銭はないけれど、Wさんを訪ねて、飲まして貰ふ、酔つぱらふ、でも戻ることは戻つた、こけつまろびつで。――
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“諸行無常”
“木魂”

随処作空[#「空」に「マヽ」の注記] 立処皆真
  (臨済)
・老木挽さんがいふ――
・山の子[#「山の子」に傍点]は山で。――
[#ここで字下げ終わり]

 七月廿二日[#「七月廿二日」に二重傍線] 晴、晴、晴。

――宿酔気味――散歩――山口へ――Sさん、Wさん、Fさん、――酔境空寂、――最終バスで帰庵、――風呂敷包も、下駄も、何もかもなくなつてしまつた、――あゝさつぱりした、よかつた!

 七月廿三日[#「七月廿三日」に二重傍線] 晴。

空々寂々。――
花屋が来て、縞萱と桔梗とを所望して、十五銭くれた。
暮羊居で米一升分けて貰ふ。
初めて熊蝉が鳴く。
夾竹桃の花が美しい、まさに万緑叢中紅一点。
飯のうまさ。
暮羊君来庵、同道して、四時の汽車で防府へ行く、令兄のところで御馳走になる、悪筆を揮ふ、十時の汽車で帰る、駅前でIさんに逢ふ、三人で飲む、近来にない愉快な一夜だつた。
帰庵したのは一時頃だつたらう、蚊帳も吊らないで寝てしまつた!
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・花の良心
  花屋老人の事
・停車場待合室
[#ここで字下げ終わり]

 七月廿四日[#「七月廿四日」に二重傍線] 晴、風が涼しかつた。

私は二日酔をしない、いうぜんとして落ちついてゐる。
涼しい昼寝、あゝ勿体ない、赦して下さい、すみません。
昼も夜も暮羊君来庵、ブラジルコーヒーを味ふ。
今夜は意外な訪問者があつた、Mのおかみさんとその娘、何もないからコーヒーを少しあげた!
涼しすぎる風、蒲団なしでは寝てゐられなかつた。

 七月廿五日[#「七月廿五日」に二重傍線] 晴。

早起、焼香、肌寒。――
節食、それは絶食の前提となるだらう。
老鶯啼く、ゆつくりしんみりコーヒーを味ふ。
所在なさにあちらへいつたりこちらへきたり、そこらをあるきまはる。……
雪国[#「雪国」に傍点]を読む、寂しい小説だ、康成百パアの小説だ、人生は一切徒労か、情熱いたづらに燃えて、燃えつくすのか!
よい日であつた、よい風が吹いた、よい人生であれ。
午後、暮羊君来庵、読書、昼寝、談笑。……
身心が何となくだるい、風に労れたのでもあらうか。
Yさんの戦死は私を悲しがらせて、――どうにもならない。

 七月廿六日[#「七月廿六日」に二重傍線] 晴――曇。

好晴がつゞいたが曇となつた、どうやら雨が近いらしい、物みな待ちかまへてゐる。
待つともなく待つもの[#「待つともなく待つもの」に傍点]、――来なかつた。
絶食[#「絶食」に傍点]、食べるものがないから食べないのだが、身心清掃[#「身心清掃」に傍点]の工作としてよろしい。
落ちついて読書。――

 七月廿七日[#「七月廿七日」に二重傍線] 曇――晴。

未明起床、明けゆく情調を味ふ、よいかな、夏の朝。
絶食第二日、梅茶一杯、身心安静。
散歩、五日ぶりの外出である、一杯借りた機嫌で、米も石油も借りて帰つた!
飯のありがたさ、あたゝかい麦飯のうまさ。
九江陥落! ああとさけぶほかない、この感嘆詞には千万無量のおもひがこもつてゐる。
まことに盛夏酷暑だ。
夕立が来てくれさうな雷鳴だつたが、ばら/\雨で終つた、一雨ざつと来ると、人間よりも草木がよろこぶだらうに。
暮羊君の奥さんからカマス二尾頂戴する、憾むらくは酒がないと嘆じてゐるところへ、暮羊君が一本さげて来庵、ほんたうにうまい酒であり、そしてよい酒[#「よい酒」に傍点]であつた。
おかげで、前後不覚、ぐつすり睡れた。

 七月廿八日[#「七月廿八日」に二重傍線] 晴。

ようねむれた朝のこゝろたのしく。
浅草紅団[#「浅草紅団」に傍点]、なか/\おもしろい。
何となくいら/\して落ちつけない、どうしたのだらう、気まぐれ山頭火[#「気まぐれ山頭火」に傍点]!
今日もずゐぶん暑かつた、我がまゝ気まゝに暮らした、感
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