由布院へ歩く。――
立派なドライヴウヱー、自動車はうるさい(歩くものには)、乗らないものには外道車[#「外道車」に傍点]だ(便利なこともある、乗らないものにも)。
私はもう登山は出来ない、仰いで山を観るばかりである。
鶴見園[#「鶴見園」に傍点]を横に見て登る、登る程に、海地獄、八幡地獄、無間地獄、等々と地獄の連続だ。
山里は梅やら桃やら咲いて、水車がまはつて、牛が鳴いて、とても長閑である、そこらで演習があるらしい砲声も!
風が出て晴れさうだが、たうとう風雨になつた、ラクダ色の山が山に、ごつ/\そびえてゐる。
朝見川鶴見橋。
火男火売《ホノヲホノメ》神社。
山鶯が啼く、音色のよいのも啼く、水音をさがして飲む、腹いつぱい、うまい/\、山鳴、山霧、さびしいな、何となく心細い。
鐘紡種牧場、なか/\大規模らしい。
城島台、眺望はすばらしいらしいが、霧で視野はすつかり遮られてしまつた。
雲雀が啼く、これもおもひでの種の一つだ、道ばたの蕗の薹二つ三つ頂戴する。
五時近くなつて、やうやく由布院の湯坪へ着く、T屋といふ安宿へおちつく、なか/\よい宿らしい、家は粗末だが、……どてらを貸してくれる、お茶を持つてきてくれる(お茶受として沢庵も悪くない)、火鉢にたくさん火をいけてくれる、内湯がある、電燈が明るい。……
ハガキを出したついでに、さつそく一杯――二杯ひつかける、うまい酒だつた、また、よい酒でもあつた。
ほろ/\ほろ/\、だが、風がガタビシの硝子障子をたゝく音はさびしい/\。
こゝには水がない[#「水がない」に傍点]、温泉だけといふ、さりとは。――
別府由布院六里といふが、どうして/\、山行六里にはすつかり労れきつた、年はとりたくないものだわい!
今夜はゆつくり寝やう、ぐつすり睡れるだらう。

由布院はさびしい温泉だが、そこが好きだ、湯を浴びてはぽか/\ぼんやりしてゐるのがうれしい。

酔ひざめの水ではないので、酔ひざめの湯をがぶ/\飲んだ!

夜が更けて、雨になり風になつた、困つたな、ふと眼覚めて硝子障子越しに見ると、月夜になつてゐる、よかつた。
由布院がきつぜんと聳え立ち、朝月が近くかゝつてゐる、よいな。

[#ここから2字下げ]
・湯けむりの梅のまつさかり
・うりものと書かれて岩のうららかな
・枯野風ふくお日様のぞいた
・のぼつたりくだつたり濡れても寒くはない雨の
・蕗のとうここで休まう
・山霧ふかく風車のまはるでもなく
  牧水に
・ずんぶり濡れてけふも旅ゆく(幾山河……)
・山のなか山が見えない霧のなか行く
・草枯れてほんによい岩がところ/″\
  由布越
・吹きおろす風をまともに吹きとばされまいぞ
[#ここで字下げ終わり]

 三月廿二日 好晴、春光熙々、玖珠。

七時、身心かろく出発する、高原のさわやかさ、秋のやうな、南由布へまはり、いよ/\山路にかゝる、水分峠[#「水分峠」に傍点]である、山又山、鶯がやたらに啼く。
十歩行いては立ちどまり百歩行いては腰をおろす。
雲雀が啼く、蛙が鳴く、蕗の薹、水音、家があると、鶏の声、牛の声、子供の声。
生きてゐる幸福、歩いてゐる悦楽。
野糞[#「野糞」に傍点]、いや山糞をいう/\として垂れた!
うまい水が流れ落ちてゐる、もちろん腹いつぱい飲んだ。
人間には逢はない、ことし最初の蝶に逢つた。
長い峠であつたが、よい峠であつた。
知らぬ間に野矢駅を通り越して中村へ下つてゐた、グリコ噛み噛み、さらに三里歩いて、暮れかゝる頃やうやく森町に着いた、運よくM屋といふ宿を教へられて泊めて貰ふ、ほどよい宿であつた。
防空訓練で電燈は消されてしまつたので、一杯ひつかけてそのまゝ寝た、夜中に、トタン屋根をたゝく雨音に旅愁を感じた。

里程の主観的意味[#「里程の主観的意味」に傍点](徒歩の苦楽)。
客観的には一里でも主観的に二里の場合もある。
里程観念[#「里程観念」に傍点]。
小学生が比較的に正しい。

日出生台《ヒヂオダイ》とはよい地名。

田舎の人は総じて深切だけれど、時として不深切きはまることもある、今日はその不深切のために半里ばかり歩き損した。
その山近く住んでゐて、その山の名を知らない、のんき[#「のんき」に傍点]といふか、まぬけ[#「まぬけ」に傍点]といはうか!
老梅が咲き満ちてゐた、しづかに、しづかに、野の聖のやうに(廿二日)。

追憶の道[#「追憶の道」に傍点]。――

人間のいやしさ、きたなさを痛切に感じる、肉体的に、生理的に人間の臭さ[#「人間の臭さ」に傍点]がたへきれないやうにさへ!
[#ここから3字下げ]
  水分峠
枯山あまねく日のあたる鶯うたふ
のどけさ仔牛が乳房をはなれない
はれ/″\山はむつちりよこたはる
ふと見れば足にふまれてつく/\し
蕗のとうかたまつて山ふところに
 
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