#「時の流れ」に傍点]、いひかへれば厳粛な歴史の流れ[#「歴史の流れ」に傍点]、我々はその流れに流されて行く、その流れに躍り込んで泳ぎ切らなければならない、時代の波[#「時代の波」に傍点]に棹して自己の使命を果さなければならない。
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 十二月十七日[#「十二月十七日」に二重傍線] 晴。

風はさむいが大気はあたゝかい、小春日である。
――酒を忘れる[#「酒を忘れる」に傍点]、さういふ境地が私のうちに拓かれつゝある、――あまり酒をおもはなくなつた。
郵便は来ない、新聞は来たけれど。
何となく淋しい。
今日は南京入場式、そして今夜は満月、誰も感慨無量であらう、殊に出征の将兵は。――
うらゝかにして小鳥のうた、百舌鳥の疳高い声、目白のおとなしい合唱。
ちよつと出かけて一杯ひつかけた、うまい酒だつた、あぶないあぶない!(だが、酒はよいかな、ほどよい酒は、――とうたひたくなる!)
道連れになつたW老人の話、彼は幸福人だらう。
油揚を買ふ、揚豆腐は田舎料理にはなくてはならぬものである、稲荷鮨のころもとしても、煮物の味付としても。
睡眠不足の気味で、すまないけれど、しばらく昼寝した、すまないと思ふ。
帝人事件判決が下つた、被告全部無罪、私たちには事件の真相はつかめないけれど、割り切れないもの[#「割り切れないもの」に傍点]があるらしい、その割り切れないものは現社会の癌[#「現社会の癌」に傍点]だらう!
おだやかに昇る月を観た、よかつた、よかつた。
寝苦しく胸苦しかつた、粗食大食[#「粗食大食」に傍点]のためか!

 十二月十八日[#「十二月十八日」に二重傍線] 曇、時雨。

雨にら[#「にら」に「マヽ」の注記]しい、ぬくすぎる、ばら/\雨が落ちだした。
身心平静。
私は生活苦[#「生活苦」に傍点]といふよりも生存苦[#「生存苦」に傍点]になやまされてゐる、それではあまりにみじめだ。
朝、めづらしくこゝまで行商人がやつて来て、反物はいらないかといふ、御苦労さん、反物どころか、食べる物がなくなつて困つてゐる! それもこれも不景気の反映だらう。
世界歴史に燦然として光輝を放つべき南京入城式の壮観が、今日の新聞では写真と共に色々報道されてゐる、ありがたいニユースであつた。
濡れてかゞやく枯草のうつくしさよ[#「濡れてかゞやく枯草のうつくしさよ」に傍点]、観れば観るほど美しい。
午後、やうやく半切四枚を書きなぐつた、悪筆の乱筆をもつともつと揮はなければなりません!
今夜も睡れないので、あれこれ読みちらしてごまかす。
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読書浄土
旅極楽
飯醍醐
酒甘露
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 十二月十九日[#「十二月十九日」に二重傍線] 曇――雪。

寒い雲がかさなりひろがつて年の瀬らしくなる、粉雪がちら/\する、寒い、寒い。
火鉢に火、机に本、おちついてしづかな心。
あるだけの米と麦とを炊く、二食分には足るまい、また絶食か! つらいね。
しようことなしに、暮羊君から墨を借りて、半切四枚書きなぐる、いつものやうに悪筆の乱筆[#「悪筆の乱筆」に傍点]、仕方がないといへばそれまでだけれど、あまりよい気持ではない、そしてそれを急いで送るべく――早く物に代へて貰ひ[#「ひ」に「マヽ」の注記]ために、ポストまで出かける、ついでにうどん玉を買ひたかつたが、かなしいかな、銭がなかつた。
風がきびしくなつた、まさしく凩だ。
かねて見つけておいて蔓梅一枝を活ける、よいなあと眺める。
夕方、Y君がだしぬけに来庵、ほとんど一年ぶりだ、持参の酒と魚とを食べて、いつしよに寝る。……
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┌縦の関係――祖先――父母――遺伝、伝統
└横の関係――兄弟――夫婦、友人――社会性
┌短歌――外延的――迸出――詠嘆
└俳句――内包的――沈潜――
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 十二月廿日[#「十二月廿日」に二重傍線] 雪――曇――雨。

Y君と別れる、お茶をすゝつて(お茶しか食べるものがなかつた)。
うれしいたよりがあつた。
支那をおもふ、支那をおもへば、一度や二度の絶食は何でもない、炭火があるだけでも私にはありがたすぎる!
ポストまで出かける、うどんを食べる、うまい/\。
ぽろりと歯が抜けた(四本のうちの一本だ)。

 十二月廿一日[#「十二月廿一日」に二重傍線] 曇。

雪がちほ[#「ちほ」に「マヽ」の注記]らする中を郵便局へいそぐ、Kよ、ありがたう、涙ぐましくなつて、あてもなく歩く。
飯のうまさ、酒のうまさ、そして生きる苦しさ、考へる切なさ!
たうとう湯田温泉まで。――

 十二月廿二日[#「十二月廿二日」に二重傍線] 曇。

冬至、あゝまた朝酒! 身にしみる冬至だ!
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主観の客観化[#「主観の客観化」に傍
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