は紙一枚[#「紙一枚」に傍点]に過ぎないかも知れない、しかし、――しかしである、作者は幼稚を脱して枯淡に徹するまでに数十年の血みどろな精進をつゞけて来たのである。
□自然に即して思想が現はれる[#「自然に即して思想が現はれる」に傍点]、思想を現はすやうに自然を剪栽するのではない、――これが私の現在の句作的立場である。
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 五月三十日[#「五月三十日」に二重傍線] 晴。

早起、身辺整理、久しぶりに身心明朗。
暮羊君久々にて来庵、病気全快は何より、例の如く無駄話、ついていつて雑誌を借り酒を貰うて戻る(君はまだ飲んではいけないさうで)。
十二時頃、樹明君来庵、旦へ行かうといふ、同行はSさんKさんたち(旦は、私の第二の故郷である、そこの鯛を食べ酒を飲むことは楽しい)、お仲間入したいけれど会費三円が出来ない、K店で借らうとしたが、月末でどうにもならないさうである、残念ながら参加中止、帰庵して、例の一本を傾けた、寂しかつたが、けつきよくは、よかつた、よかつた、酔ひました、ほろ/\とろ/\、そして湯田へまた参りました(Y店で壱円借りまして)、熱い湯、熱い湯、熱い湯に浸ると、身心が蕩けるやうに快い。
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哲学から句は生れないけれど、句には哲学があつてもかまはない。
私は私の私であれ[#「私は私の私であれ」に傍点]!
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 五月三十一日[#「五月三十一日」に二重傍線] 曇。

午前帰庵。
留守に、樹明君が酔つぱらつて来たらしい。
アルコールを止揚せよ、先づ焼酎を止めろ、酒は日本酒に限る[#「酒は日本酒に限る」に傍点]、燗してちびり/\飲むべし、時としてぐい/\ビールを呷るもよからう。
水がうまい、水を飲んで胃腸を洗ふ、いや身心を洗ふ。

 六月一日[#「六月一日」に二重傍線] 晴。

更新第一歩[#「更新第一歩」に傍点]。
草のめざましさ、小鳥のほがらかさ。
Kからの酒を頂戴する。
今日は今日のお天気、今日は今日の事をなせ。
死線を越えて無我境を行く[#「死線を越えて無我境を行く」に傍点]。
身辺整理、発熱の気味で。――
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芸術的自信[#「芸術的自信」に傍点]はなかるべからず、断じて自惚[#「自惚」に傍点]はあるべからず。

自己矛盾――自己嫌忌――自己破壊――
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 六月二日[#「六月二日」に二重傍線] 晴――曇。

青い朝が動いてゐる、暁のすが/\しさ、みづ/\しさ、身心清澄、創作衝動を感じる。
鶉衣[#「鶉衣」に傍点]を読む、うまいことはうまいが、あまりにうまい。
洗濯、草苅、何といふ役に立たない肉体だらう!
石油買ひに出かける、ついでに入浴。
やるせない手紙をSに送る、あゝ。
数日ぶりに新聞を見る、予期の如く林内閣は退却した、そして大命は近衛公に降下し、公は拝受した、これで行き詰つてゐる非常時も非常時として安定するだらうと誰もが予期してゐる。
国家は国民の社会である。
朝晩はまだ春だが、日中はまつたく夏だ。
ありがたくおいしく御飯をいたゞいた。
旅、旅、旅に出たい、そしてワガママをたゝきつぶしたい(かなしいかな、私は行乞の旅をつゞける元気をなくしてしまつてゐる)。
不眠、しようことなしの徹夜読書、アブラが切れたのだらう。
東の空が白むのを待ちかねて起きる。――
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詩人は謙虚でなければならない、見よ慢心せる俳人のいかに多きことよ。
増上慢[#「増上慢」に傍点]はネコイラズみたいなものだ。
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『飯と酒と水』
  (父親の出奔、帰郷、家出)
『半自叙伝』
『うさき[#「き」に「マヽ」の注記]のころも』
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 六月三日[#「六月三日」に二重傍線] 曇。

沈静。――
下の家の主人が来て草を刈つてゐる、朝風にそよぐ青草をさくり/\と刈りすゝむ心持は快いものであらうと思ふ。
今日もまた、郵便も来ないのか!
午後、ポストまで出かけたついでに、農学校の畜舎に寄つて新聞を読む、至るところ近衛内閣万歳である、誰もが暗さに労れてゐるのだ。
けふも発熱の気味、からだのどこかに異変が起つてゐるらしい、それもよからう、仕方がないが、どうか痛まないやうに。……
蒸暑い、柿の青い葉が時々落ちる。
二夜分ねむれた、いやな夢を見たけれど。
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放てば手に満つ[#「放てば手に満つ」に白三角傍点]
此語句に道元禅師の真骨頂が籠つてゐる、おのづから頭がさがる。

昨日は昨日の夢。
今日は今日の現実。
明日は晴か曇か、それとも雨か。
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 六月四日[#「六月四日」に二重傍線] 晴。

好い季節だ(いつでも好季節といふのは観念としてゞある)。
好すぎる季節
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