鬼も知つた鬼[#「知つた鬼」に傍点]がよいといふ、なるほど。

播いた種が生えないのは播かない種が生えるよりもよくない。
[#ここで字下げ終わり]

 十一月廿二日[#「十一月廿二日」に二重傍線] 曇――晴。

いつしよにおいしく朝飯をいたゞく。
敬君は実家へ。
午前はとてもしづかでしめやかだつた、おちつける日、小鳥の来る日だつた、目白、鵯、鶲。
午後、敬君再び来庵、酒を少し仕入れて、ほどなくNさん来庵、野菜をいろ/\持つて、三人でおとなしく飲む。
夕方、いつしよに街へ出て別れる、私だけ一人で湯田へ、……わるくない酔ひ方だつた。
――句も夢も忘れてしまつた。
いつもの安宿に泊る。

 十一月廿三日[#「十一月廿三日」に二重傍線] 冬曇。

十時帰庵。
注文しておいた酒がある、貰つた鮒がある。
待ち受けてゐるNさんが来ないので、ひとりでちびりちびり飲んだ。
今日はどうした風の吹きまはしか、反物売の娘さんがやつてきて、しつこくすゝめるのには閉口した。
――胃腸が痛む――身心の[#「の」に「マヽ」の注記]爛れてゐる。

 十一月廿四日[#「十一月廿四日」に二重傍線] 冬晴。

うまいかな朝酒、ぬくいかな火燵。
今晩も鮒を料理して独酌。
近来めつきり老衰したことを感じる、みんな身から出た錆だ、詮方なし。
老衰しきつてしまへば、また、そこにはそこだけのものがあるだらう。
彼を思ふ、彼とは誰だ、彼女を思ふ、彼女とは誰だ、故郷を思ふ、故郷は何処だ!
老いて夢多し[#「老いて夢多し」に傍点]、老いて惑多し[#「老いて惑多し」に傍点]。
慾がなくなるほど濁が見える[#「慾がなくなるほど濁が見える」に傍点]、澄んでくる[#「澄んでくる」に傍点]。
澄んだり濁つたり、濁つたり澄んだり、そして。――

 十一月廿五日[#「十一月廿五日」に二重傍線] 好晴。

朝酒あります!
身辺整理、まづ書信をかたづける。
午後、街へ――ポストへ、風呂屋へ、それから学校へ、そこで偶然、豚を屠る光景を目撃して不快な気持になつたが、樹明君に逢つて与太をとばしてゐるうちにすつかり愉快になつた。
こらへる[#「こらへる」に傍点]――こらへろ[#「こらへろ」に傍点]――こらへた[#「こらへた」に傍点]!(何を――酒を!)
殆んど夜を徹して句作推敲、ねむれないからしようことなしの勉強だ、明け方ちかくとろ/\としたら、恐ろしいあさましい悪夢に襲はれた。
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□精神が制御しきれない肉体!
[#ここから4字下げ]
幸福なる疾病ではあるまいか!
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□人間的真実
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自然の真実。

社会的真実。
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□いのちはいのちなり[#「いのちはいのちなり」に傍点]、私はたゞそれをうたへばよろし[#「私はたゞそれをうたへばよろし」に傍点]。
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いのちのリズム、俳句のリズム、山頭火のリズム。
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□真実は[#「真実は」に傍点]生命なり。
 生命は[#「生命は」に傍点]真実なり。
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 十一月廿六日[#「十一月廿六日」に二重傍線] 曇。

暗い、寒い、小雪でもちらつきさうな。
いよ/\冬ごもりだ。
閉居読書。
しめやかな雨となつた、よい雨だが屋根が漏ることはうるさい。
あたたかい夜だつたがねむれない、酒気が切れたからだらう。
いよ/\アル中患者だ、私も俳人から癈人[#「俳人から癈人」に傍点]になりつつあるのだらう!
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□俳句性[#「俳句性」に傍点]――単純[#「単純」に傍点]。
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季題[#「季題」に傍点]が存してゐたのも十七音形態[#「十七音形態」に傍点]であつたのも。
飯がうまい、花がうつくしい……
水がありがたい、雲が好き……
みんな私の実感実情[#「実感実情」に傍点]である。
櫨紅葉[#「櫨紅葉」に傍点]がとても見事な色彩を持つてゐる、それに感動したら、それをうたへばよいではないか。
ビルデイング[#「ビルデイング」に傍点]でもヱンヂン[#「ヱンヂン」に傍点]でも同様である。
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□個を通して全は表現される[#「個を通して全は表現される」に傍点]。
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集団的なものは集団的に。――
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□感覚を越えて[#「感覚を越えて」に傍点]意志を現はさうとしてはならない、観念を強いてはならない。

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