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 八月一日[#「八月一日」に二重傍線] 雨、後曇。

早朝帰庵。
物みなよろし、悲観は禁物、在るものを観照せよ[#「在るものを観照せよ」に傍点]。
雀、猫、犬、爺さん、蝉、蝶々、蜻蛉、いろ/\の生きものが今日の私をおとづれた。
しづかな雨、しづかな私だつた。
昨夜は騷々しく今晩は悠々、そのどちらもほんたうだ。
老境の眼ざめ[#「老境の眼ざめ」に傍点](青春の眼ざめがあるやうに)。
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   懺悔と告白
私にはまだ懺悔[#「懺悔」に傍点]が出来ない、告白[#「告白」に傍点]は出来るけれど、――反省[#「反省」に傍点]が足りないのである。
このみちをゆく[#「このみちをゆく」に傍点]。――
私一人の道[#「私一人の道」に傍点]だ。
けはしい道だ。
細い道だ。
the road leads no where かも知れない。
躓いても転んでも行かなければならない。
私の道は一つしかない。
私は私の道を行くより外ない。
……………………………………
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 八月二日[#「八月二日」に二重傍線] 曇。

早起、身辺整理。
歯痛(苦痛は人生を味解させる[#「苦痛は人生を味解させる」に傍点])。
今日も雨、しめやかな日。
今日の買物は、米三升九十九銭、鯖一尾十六銭。
澄太君が近著地下の水[#「地下の水」に傍点]を送つてくれた、読んで何よりも羨ましいと思つたのは君のおちつき[#「おちつき」に傍点]だ、そして孝行[#「孝行」に傍点]だ、地下の水一冊は澄太其人の面貌だ、君に対する尊敬と親愛とをより深くした。
午後、Jさん来庵、さいはひ、紫蘇巻と酒とがあるから一杯さしあげる。
近来めづらしい、ありがたい晩飯を食べた。
こゝろしづかにしてしづみゆく[#「こゝろしづかにしてしづみゆく」に傍点]、せんすべなし。
すゞしくぐつすりねむる。
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世の中にタダほど安いものはないといふが、或る場合にはタダほど高いものはないこともある。
私には、私のやうなものには、さういふ或る場合[#「或る場合」に傍点]が稀でない。
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 八月三日[#「八月三日」に二重傍線] 曇、後雨。

せつかくの月も管絃祭も駄目であつた。
障子の目張半日。
まるで梅雨のやうな土用だ。
俊和尚からうれしい手紙。
やつと月があらはれた、花火が見える、何となく人が恋しく過去がなつかしかつた。

 八月四日[#「八月四日」に二重傍線] 曇、後晴。

今日は涼しい、涼しすぎる。
家の中へ紛れ込んでゐる蝉を空へ放つてやつたら、蜘蛛の囲にひつかゝつてあえない最後を遂げた(その蝉を助けないのは私の宿命観だ)。
街のレコードがさかんに唄ふ、私は蚊帳の中でそれを聴いてゐる。
たよりさま/″\で、どれもありがたい、すぐかへしを書いて駅のポストへ入れる。
やつと書信だけはかたづいた。
蚊帳のうちで月見、私らしい贅沢。
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好意を持たれることはうれしいが、持たれすぎることは恥づかしい。
買ひかぶられても見下げられても私は苦しい。
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 八月五日[#「八月五日」に二重傍線] 曇――晴。

五時起床。
桔梗が咲きつゞける、山桔梗なら一段とよからう。
蜘蛛の仕事を観る。
熊蝉が鳴きだした。
夕立を観る。
雨はしめやかでよろしいけれど、雨の漏る音はわびしいものである。
焼酎二合二十四銭、揚豆腐二枚三銭。
街で樹明君に邂逅、同伴して帰庵、飲むうちに、そして歩くうちにムチヤクチヤになつてしまつた。
身心放下[#「身心放下」に傍点]ならよいが、身心蹂躙[#「身心蹂躙」に傍点]だからよろしくない。

 八月六日[#「八月六日」に二重傍線] 雨。

一切空、放心無※[#「罘」の「不」に代えて「圭」、第4水準2−84−77]礙の境地。
すべてそらごとひがごとの世の中、友情のみはまことしんじつなり。
酒をのぞいて私の肉体が存在しないやうに、矛盾[#「矛盾」に白三角傍点]を外にしては表現されない私の心であつた、ああ。
乱酔、自己忘失、路傍に倒れてゐる私を深夜の夕立がたゝきつぶした、私は一切を無くした、色即是空だつた。……
転身一路、たしかに私の身心は一部脱落した、へうへうたり山頭火[#「へうへうたり山頭火」に傍点]! ゆうゆうたり山頭火[#「ゆうゆうたり山頭火」に傍点]! 湛へたる水のしづかさだ!

 八月七日[#「八月七日」に二重傍線] 曇――雨。

おちついて澄む、身心かろくさわやか。

 八月八日[#「八月八日」に二重傍線] 晴れたり曇つたり、気まぐれ日和。

洗濯、何もかも洗へ。
Iさんの宅で樹明君もいつしよになつて飲む、今夜も歩きまはつたけれど、ほろ/\とろ/\気分で愉快だつた、めでた
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