九日」に二重傍線] 春寒。

身心平安。
山口の句会へ行く、椹野川づたひに歩いて行つた、春景色、そして私は沈欝であつた、いつ訪ねても周二居はしづかであたゝかである、湯田温泉も私のかたくなにむすぼれた身心をほぐしてくれた、おいしい夕飯をいたゞいて、若い人々と話して、終列車で戻つた、まことによい一日一夜であつた。

 三月十日[#「三月十日」に二重傍線] 日露戦役三十年記念日。

すつかり春、しゆう/\として風が吹く。
奴豆腐で一本、豆腐はうまい、いつたべてもうまい、酒は時としてにがいけれど。
蛙が鳴いた、初声である、蝶々も出てきてひら/\。
こころたのしい日である。
[#ここから3字下げ]
日の丸が大きくゆれる春寒い風
  (試作)或る友に代りて
触れてつめたい手に手をかさね
[#ここで字下げ終わり]

 三月十一日[#「三月十一日」に二重傍線] 晴、雨、風、そしてまた晴。

初雷、春をうたふ空のしらべだ、春雷。
旅をおもふ、旅仕度して旅情を味ふ。
樹明来庵、とろ/\、それから、どろ/\!
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・ゆらげば枝もふくらんできたやうな
・春はいちはやく咲きだしてうすむらさき
 トラツクのがたびしも春けしきめいて
[#ここで字下げ終わり]

 三月十二日[#「三月十二日」に二重傍線]

正々堂々として朝がへり。
トンビを曲げて酔ふ、身心洞然としてさえぎるものなし。
[#ここから2字下げ]
・風の枯葦のおちつかうともしない
 晴れて風ふく草に火をはなつ
 つつましく住めば小鳥のきてあそぶ
[#ここで字下げ終わり]

 三月十三日[#「三月十三日」に二重傍線] 晴。

もう油虫めが出てきやがつた。
澄太君から来信、その友情は私を感泣さした。
[#ここから2字下げ]
・山から水が流れてきて春の音
・住みなれて家をめぐりてなづな咲く
[#ここで字下げ終わり]

 三月十四日[#「三月十四日」に二重傍線] 晴、霜、氷。

樹明君と関門日々新聞記者波多野君と同行して来庵、飲んで、出かけてまた飲んだ、そして酔うて、嫌な事件があつた。

 三月十五日[#「三月十五日」に二重傍線]

うれしい藪鶯が鳴く。
後藤さんが帰郷の途次を寄つてくれた、澄太君の奥さんの心づくし――饅頭を持つて。
[#ここから2字下げ]
・みんないつしよに湧いてあふれる湯のあつさ(千人湯)
・風も春めいて刑務所の壁の高さ
[#ここで字下げ終わり]

 十六日 十七日 十八日

かなしい、うれしい日であつたとだけ。

 三月十九日[#「三月十九日」に二重傍線] 曇。

急に思ひ立つて佐野の妹を訪ねる、お土産は樹明君から貰つたハム、いつものやうに酔つぱらつておしやべり、寿さんが黙々として労働してゐることは尊い、省みて恥ぢないではゐられなかつた。
外出着の質受ができないので、古被布を着て行つたので、さんざ叱られた、叱る彼女も辛からうが、叱られる私も辛かつた、……肉縁のよさ、そして肉縁のわずらはしさ!
[#ここから3字下げ]
をとこがをなごが水がせゝらぐ灯かげ(雑)
[#ここで字下げ終わり]

 三月二十日[#「三月二十日」に二重傍線]

夜の明けきらないうちに起きて散歩、佐波川はおもひでのしづけさをたたへて鶯も啼いてゐる。
イチと名づけられた犬が可愛い、ほんたうに可愛い。
花と梅干とを貰うて帰庵。
F家の白木蓮がうつくしい、それにもおもひでがある。

 三月二十一日[#「三月二十一日」に二重傍線] 曇、なか/\寒い、雨。

お彼岸の中日。
アテにしないで待ちかまへてゐた徳山の連中は来てくれなかつた、……寝るより外なかつた。
[#ここから3字下げ]
  白船君に
だまされてゆふべとなれば木魚をたたく
  改作追加一句
子がうたへば母もうたへばさくらちる
[#ここで字下げ終わり]

 三月二十二日[#「三月二十二日」に二重傍線] 晴。

生死を生死せよ[#「生死を生死せよ」に傍点]。

 三月二十三日[#「三月二十三日」に二重傍線] 雪でもふりだしさうな曇りだつたが、午後はぬくい雨となつた。

たよりいろ/\、ありがたし、かたじけなし。
街へ出かけて、払ふべきものを払へるだけ払ふ、Tさんの如きは、払つて貰ふことは予期してゐなかつたといつて私よりも彼女が恐縮した!
雑魚で一杯、ほろ/\酔うて、ぶら/\歩きたい気分をおさへて寝た。……
雑木雑草[#「雑木雑草」に傍点]、その幸福にひたつた。
[#ここから2字下げ]
・ふるさとはおもひではこぼれ菜の花も
 なんと長い汽車が麦田のなかを
・ぼけが咲いてふるさとのかたすみに
・けふはこれだけ拓いたといふ山肌のうるほひ
・水に雲が明けてくる鉄橋のかげ
   妹の家を訪ねて二句
・門をはいれば匂ふはその沈丁花
 しきりに尾をふる犬がゐてふ
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