返して2字下げ]
□鰒について[#「鰒について」に白三角傍点]――
[#ここから2字下げ]
鰒はうまい[#「鰒はうまい」に傍点]――これには誰も文句はない。
さしみ[#「さしみ」に傍点]もうまいがちり[#「ちり」に傍点]もうまい、あつさり[#「あつさり」に傍点]して、そしてコク[#「コク」に傍点]がある。
ヒレ酒[#「ヒレ酒」に傍点]なんかは問題ぢやない。
酒の酔と鰒の熱とがからだいつぱい[#「からだいつぱい」に傍点]になつてとろ/\する心地はまさに羽化登仙である、生命なんか惜しくない、ほかに生命なんかないぢやないか!
[#ここで字下げ終わり]

 二月九日[#「二月九日」に二重傍線] 曇。

天気模様もよくないし、からだのぐあいもよくないけれど、思ひ立つては思ひ返さない私だから、時計を曲げて汽車賃をこしらへ、徳山へ行く。
福川で下車して歩るく、途中富田で青海苔を買ふ、降りだしたのでバスに乗る。
白船君とは殆んど一年ぶりの対談。
夜は雑草句会、例によつて例の如し。
白船居は娘さんが孫を連れて同居してゐられるので、或る宿屋へ案内して泊めて貰ふ、すまなかつた、何もかも人絹のピカ/\するなかで寝る。
今夜はよく食べた、自分ながら胃袋の大きいのに呆れた。……
友はよいかな、旧友はことによいかな。
奥さんに嫁の事を頼んで、さんざヒヤカされた。
[#ここから2字下げ]
・雪ふれば雪を観てゐる私です
・ひとりで事足るふきのとうをやく
・孤独であることが、くしやみがやたらにでる
・雪がふるふる鉄をうつうつ
・火の番そこからひきかへせば恋猫
・更けて竹の葉の鳴るを、餅の焼けてふくれるを
   改作一句追加
・焼いてしまへばこれだけの灰が半生の記録
   木郎第二世の誕生をよろこぶ
 雪あかりの、すこやかな呼吸
[#ここで字下げ終わり]

 二月十日[#「二月十日」に二重傍線] 雨。

よく寝た、雨で八代の鶴見物は駄目。
十時の汽車で帰ることにする、白船君に切符まで買うて貰つて気の毒だつた。
十二時帰庵、樹明君がやつてくる、酒井さんがやつてくる、磯部さんがやつてくる。……
酒四升、鰒大皿、飲めや唄へや、踊れや。…………
とろ/\どろ/\、よろめきまはるほどに、とう/\動けなくなつて宿屋に泊つた。
[#ここから2字下げ]
・芽麥の寒さもそこらで雲雀さえづれば
・冬ざれの山がせまると長いトンネル
 冬ぐもりの波にたゞようて何の船
 ここにも住む人々があつて墓場
・家があれば田があれば子供や犬や
・雪もよひ雪にならない工場地帯のけむり
 ひさしぶり話せば、ぬくい雨となつた(白船老に)
 あれもこれもおもひでの雨がふりかゝるバスで通る
[#ここで字下げ終わり]

 二月十一日[#「二月十一日」に二重傍線] 晴、紀元節、建国祭。

こゝろよい睡眠から覚めて、おいしい朝飯を食べて、戻つてきて、昨夜の跡片付をする。
午後、樹明君と磯部君とを招いて残肴残酒でうかれる、うかれすぎてあぶなかつたが、やつと散歩だけですました、めでたし/\。
月もおぼろの、何となく春めいた。

 二月十二日[#「二月十二日」に二重傍線] 曇。

門外不出、独臥読書。

 二月十三日[#「二月十三日」に二重傍線]

おなじく、おなじく。

 二月十四日[#「二月十四日」に二重傍線] 曇。

今日も門外不出、終日読書。
[#ここから2字下げ]
・花ぐもりの、ぬけさうな歯のぬけないなやみ
[#ここで字下げ終わり]

 二月十五日[#「二月十五日」に二重傍線] 曇、ばら/\雨。

身辺整理。
四日ぶりに街へ出かける、そして七日ぶりに入浴する。

 二月十六日[#「二月十六日」に二重傍線] 時雨、春が来てゐる。……

めづらしくも、乞食がきた。……
夕方、樹明君来庵。……
春琴抄[#「春琴抄」に傍点]を読む。……
[#ここから2字下げ]
・春めいた朝はやうから乞食
[#ここで字下げ終わり]

 二月十七日[#「二月十七日」に二重傍線] 晴、降霜結氷、春寒。

三日ぶりに街へ出て、酒一罎借りる、酒でも飲まなければやりきれなくなつたほど、身心が労れて弱つてゐるのである。
アルコールのおかげで宵の間はぐつすり寝た、夜中に眼覚めて、茶の本[#「茶の本」に傍点]を一年ぶりに読みなほす、よい本はいつ読んでもいくど読んでもおもしろい。
夜の雨、それは冬がいそいで逃げてゆくやうな、春がいそいでくるやうな音を立てゝ降つた。
[#ここから2字下げ]
・霜晴れほのかに匂ふは水仙
   或る夜の感懐
・死にたいときに死ぬるがよろしい水仙匂ふ
・寝るとしてもう春の水を腹いつぱい
・月夜雨ふるその音は春
[#ここで字下げ終わり]

 二月十八日[#「二月十八日」に二重傍線] 春ぐもり、雨。

日照雨、春が降るやうな雨、ひよ
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