其中日記
(五)
種田山頭火
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)汽笛《フネ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]
[#(…)]:訓点送り仮名
(例)寒[#(ン)]空の
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\に
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
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┌─────────────────────────┐
│おかげさまで、五十代四度目の、 │
│其中庵二度目の春をむかへること │
│ができました。 山頭火拝│
│ 天地人様 │
└─────────────────────────┘
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二月四日[#「二月四日」に二重傍線]
明けてうらゝかだつたが、また曇つて雪がふりだした。
身心不調、さびしいとも思ひ、やりきれないとも感じたが、しかし、私は飛躍[#「飛躍」に傍点]した、昨夜の節分を限界として私はたしかに、年越[#「年越」に傍点]しをしたのである。
朝、冷飯の残りを食べたゞけで、水を飲んで読書した、しづかな、おちついた一日一夜だつた。
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第三句集『山行水行』に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入する語句二章
(庵中閑打坐) (一鉢千家飯)
山があれば山を観る 村から村へ
雨のふる日は雨を聴く 家から家へ
春夏秋冬 一握の米をいたゞき
受用して尽きることがない いたゞくほどに
鉢の子はいつぱいになつた
[#ここで字下げ終わり]
二月五日[#「二月五日」に二重傍線]
天も私も憂欝だ、それは自然人生の本然だから詮方がない、水ばかり飲んでゐても仕方がないから、馴染の酒屋へ行つて、掛で一杯ひつかけた、そしてさらに馴染の飲食店から稲荷鮨とうどんとを借りて戻つた。
湯札が一枚あつたので、久振に入浴、憂欝と焦燥とを洗ひ落してさつぱりした。
幸福な昼寝。
やつぱり、句と酒[#「句と酒」に傍点]だ、そのほかには、私には、何物もない。
大根、ほうれん草、新菊を採る、手入をする、肥をやる。
私の肉体は殆んど不死身[#「不死身」に傍点]に近い(寒さには極めて弱いけれど)、ねがはくは、心が不動心[#「不動心」に傍点]となれ。
米桶に米があり[#「米桶に米があり」に傍点]、炭籠に炭がある[#「炭籠に炭がある」に傍点]といふことは、どんなに有難いことであるか、米のない日、炭のない夜を体験しない人には、とうてい解るまい。
徹夜読書、教へられる事が多かつた。
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・椿の落ちる水の流れる
・みそさゞいよそこまできたかひとりでなくか
・梅がもう春ちかい花となつてゐる
・轍ふかく山の中から売りに出る
・枯枝をひらふことの、おもふことのなし
そこら一めぐりする椿にめじろはきてゐる
ふるさとなれば低空飛行の爆音で
[#ここで字下げ終わり]
二月六日[#「二月六日」に二重傍線]
くもり、何か落ちてきさうだ。
うれしいたよりがあつた。
やうやく句集壱部代入手、さつそく米を買ふ、一杯ひつかける、煙草を買ふ。……
四日ぶりに御飯を炊く、四日ぶりにぬく飯をたべる、あたゝかい飯のうまさが今更のやうに身にしみる。
酒もやつぱりうまい、足りないだけそれだけうまい。
山を歩く、あてもなく歩くのがほんたうに歩くのだ、枯木も拾ふたが句も拾ふた。
味ふ[#「味ふ」に傍点]、楽しむ[#「楽しむ」に傍点]、遊ぶ――それが人生といふものだらう、それ自体のために、それ自体になる――それがあそび[#「あそび」に傍点]である、遊行[#「遊行」に傍点]といふ言葉の意義はなか/\に深遠である。
仏法のために仏法を修行する、仏法をも忘れて修行するのである。
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今日の決算(二月六日)
(収入)
一金壱銭 財布在金
一金七十五銭 句集壱部代入金
合計金 七十六銭也
(支払)
一金四十六銭 米二升
一金九銭 ハガキ六枚
一金拾銭 焼酎一杯
一金四銭 なでしこ小包
合計金 六拾九銭也
差引残金七銭也
この七銭[#「七銭」に傍点]は、銅貨七個はまことに大切なり。
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・たゝずめば山の小鳥のにぎやかなうた
・枯草に落ちる葉のゆふなぎは
・ゆくほどに山路は木の実のおちるなど
・暮れてゆくほほけすゝきに雪のふる
・雪空おもたい街の灯の遠くまたたく
・冬夜の水をのむ肉体が音たてて
・ランプともせばわたしひとりの影が大きく
[#ここで字下げ終わり]
二月七日[#「二月七日」に二重傍線]
快晴、身心やゝかるくなつたやうだ。
昨夜もねむれなかつた、ほとんど徹夜して読書した。
心が沈んでゆく、泥沼に落ちたやうに、――しづかにして落ちつけない、落ちついてゐていら/\する、それは生理的には酒精中毒[#「酒精中毒」に傍点]、心理的には孤独感[#「孤独感」に傍点]からきてゐることは、私自身に解りすぎるほど解つてはゐるが、さて、どうしようもないではないか!
その根本は何か、それは私の素質[#「私の素質」に傍点](temperament)そのもの[#「そのもの」に傍点]だ。
生きてゐることが苦しくなつてくる、といつて、死ぬることは何となく恐しい、生死去来は生死去来なり[#「生死去来は生死去来なり」に傍点]といふ覚悟は持つてゐるつもりだけれど、いまの[#「いまの」に傍点]、こゝの[#「こゝの」に傍点]、わたし[#「わたし」に傍点]はカルモチンによつてゞもゴマカすより外はない!
シヨウチユウを二杯ひつかけてきた、むろんカケだ、そして樹明君を訪ねて話す。
風、風がふく、風はさびしい。
昼寝、何ぞ夢の多きや、悪夢の連続だつた。
ほうれん草を摘んで食べた、ほうれん草はうまいかな。
ゆふべ、ぢつとしてゐるにたへなくて山をあるく、この身心のやりどころがないのだ、泣いても笑ふても、腹を立てゝも私一人なのだ。
蓑虫がぶらりとさがつてゐる、蓑虫よ、殼の中は平安だらう、人間の私は虫のお前をうらやむよ。
炬燵をのけたら、何となく寂しい、炬燵は日本の伝統生活を象徴する道具の一つである、家庭生活が炬燵をめぐつて営まれるのである、囲爐裏がさうであるやうに。
火といふものはまことになつかしい、うれしい、ありがたいものである、ぬくい[#「ぬくい」に傍点]といふよりあたゝかい[#「あたゝかい」に傍点]といふ言葉がそれをよく表現する、肉体をぬくめると同時に心をあたゝめてくれる。
乞食や流浪者はよく焚火をするといふ、私もよく火を焚くのである、そして孤独のもつれをほぐすのである。……
待つてゐた敬坊がやつてきてくれた、間もなく樹明君もきてくれた、お土産の般若湯がうまいことうまいこと。
それから三人で雨の中を街へ、ほどよく飲み直して戻る、樹明君よく帰りましたね、敬治君よく泊りましたね、そして山頭火もよく寝ましたよ。
ほんに、とろ/\ぐう/\だつた!
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・あんたがくるといふけさの椿にめじろ(敬治君に)
・日が照る草は枯れて石仏
・こゝろあらためて霜の大根をぬく
大根の、大きいの小さいのが霜ばしら
葉のない枝が、いつしかみのむしもゐない
・竹の葉に風のあるひとりでゐる
・石ころを蹴とばして枯山
・やりきれない冬空のくもつてくる
・ふめばさく/\落葉のよろし
・冬空の、この道のどこへ、あるく
・さいて、かげする花のちる
・あるけば冬草のうつくしいみち
・ウソをいつたがさびしい月のでゝゐる
・ウソをいはないあんたと冬空のした(樹明君に)
・冬の山が鳴る人を待つ日は
かきよせて、おこつた炭ではあるけれど
・火鉢もひとつのしづかなるかな
・椿が咲いても眼白が啼いても風がふく
・竹があつて年をとつて梅咲いてゐる
・手をひいて負うて抱いて冬日の母親として
・このさびしさは山のどこから枯れた風
・蓑虫の風にふかれてゐることも
・風ふくゆふべの煙管をみがく
追加
・枯野をあるいてきて子供はないかなどゝいはれて
・ゆふ空へゆつたりと春めいた山
[#ここで字下げ終わり]
二月八日[#「二月八日」に二重傍線]
日が射してゐたが、雪となつた、春の粉雪がさら/\とふる、もう春だ、春だとよろこぶ。
敬坊は県庁へ、私は身辺をかたづける。
朝の紅茶はおいしかつた、樹明君ありがたう。
友からあたゝかいたよりのかず/\、ありがたう、ありがたう。
小鳥よ、猟銃のひゞきは呪はしいかな。
老眼がひどくなつて読書するのにどうも工合が悪い、妙なもので、老眼は老眼として、近眼は近眼として悪くなる、ちようど、彼女に対して、憎悪は憎悪として、感謝は感謝として強くなるやうに。
夕、樹明来、ハムを持つて、――敬坊不帰、ハテナ!
鰹節を削りつゝ、それを贈つてくれた友の心を感じる、桂子さん、ありがたう。
年齢は期待といふことを弱める、私はあまり物事を予期しないやうになつてゐる、予期することが多いほど、失望することも多い、期待すれば期待するだけ裏切られるのである、例へば、今日でも、敬坊の帰庵を待つてはゐたけれど、間違なく、十中の十まで帰庵するとは信じてゐなかつた、彼も人間である、浮世の事はなか/\思ふやうにはならない、多分帰庵するだらうとは思ふけれど、或は帰庵しないかも知れないと思ふ、だから私は今夜失望しないではなかつたけれども、あんまり失望はしなかつた、ひとりしづかにハムを食べ、ほうれんさうのおひたしを食べて、ひとりしづかに寝た、――これは敬坊を信じないのではない、人生の不如意を知つてゐるからである。
石油がきれたのには困つた、先日来の不眠症で、本でも読んでゐないと、長い夜がいよ/\ます/\長くなるのである。
銭がほしいな、一杯やりたいな、と思つたところでいたし方もありません。
[#ここから2字下げ]
・林のなかへうしろすがたのふりだした春雪(敬治君に)
昼はみそさゞい、夜はふくらうの月が出た(追加一句)
・寝ざめ雪ふるさびしがるではないが
・雪が霙となりおもひうかべてゐる顔
・ひとりへひとりがきていつしよにぬくうねる(旧友来庵)
・梅はさかりの雪となつただん/\ばたけ
雪を見てゐるさびしい微笑
・雪のしたゝり誰もこないランプを消して
恋のふくらうの逢へら[#「へら」に「マヽ」の注記]しい声も更けた
・枯れた葉の枯れぬ葉の、日のさせば藪柑子
・風の鴉の家ちかく来ては啼く
あんたは酒を、あんたはハムを、わたくしは御飯を炊く(敬治、樹明両君に)
ふたりいつしよに寝て話す古くさい夢ばかり
・枯れて草も木もわたくしもゆふ影をもつ
・ぬかるみのもう春めいた風である
・まがらうとしてもうたんぽゝの花
・大根も春菊もおしまいの夕空
・ふるつくふうふう酔ひざめのからだよろめく
[#ここで字下げ終わり]
二月九日[#「二月九日」に二重傍線]
朝は曇つて寒くて、いまに雪でもふりだしさうだつたが、だん/\晴れてきてぬくうなつた、吹く風はつめたいけれど。
山をあるく、風がさわがしい、枯枝をふんで寂しい微笑[#「寂しい微笑」に傍点]をさがすといふのが、ロマンチケルだ。
午後、岐陽さん呂竹さん、来庵、珍品かたじけなし、といふ訳で、さつそく一杯やつて御馳走ちようだい、うまい/\。
敬坊はいまだに帰らない、アヤシイゾ!
街へ出かけるとて、書きのこして曰く、アブラ[#「アブラ」に傍点](いろ/\のアブラ)買ひに! よかつたね!
やりきれなくなつて、街まで出かけて熱い湯にはいる、戻つて
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